桐生の事件についてネットで検索して出会ったのが、カトリックさいたま教区のHP
http://saitama-kyoku.net/j/
にあった司祭の新年のメッセージ。その一節を引用する。
いじめがあってはならないと訴えることも大切ですが、わたくしはいじめがあるという現実から出発して、子どもたちをどうやって救い守るのか、いじめをどのように少なくしていくのかを考えることが重要だと考えています。また、教会の中にもいじめがあるということも認めていかなければならないでしょう。
シビレタ。
自殺があってもイジメとの因果関係を認めようとしないどこかの学校に比べて何と潔いことか。日本中、どこの学校・教室でイジメが起きてもおかしくないというのが現状。もちろん、私のクラスだって。
イジメをする生徒たちの気分は以下のようなものだろう。
「好きでもない奴ら」といつも一緒にいさせられて、「ベタベタした関係」まで求められる。『みんな違ってみんないい』なんて言いながらテストや内申で序列付けする。運動会の時だけ『みんなで手をつないでゴール』なんてさせるガッコウもある。
こんな世界で、人権だの平和だのって言われたって、誰が本気で聞くかっつーの。マジメに楽しみを見つけるなんてばからしい。でも先生に逆らったら損をするのは自分。はけ口としてみんながイケニエを探す。
それに、みんなで同じ事をするのは一体感・仲間意識を生む、楽しいんだよね。スポーツやら行事やらなんてかったるい。努力の必要もなく手っ取り早くみんなといっしょにできること、といったら、そりゃイジメしかないっしょ。
イケニエにしやすいのはやっぱり弱い者。みんなより勉強ができなかったり、運動が苦手だったり、太っていたり、小さかったり、、、。でも本当は誰でもいい。みんなとちょっとでも違うところがあれば「勉強ができる」だって理由になる。でも、こんなふうにイジメをしていれば、いつか矛先が自分に回ってくるかも知れない。なにかいい理由はないか、、、。
そうだ。ガイジンをいじめていれば、日本人のおれらは「絶対安全地帯」にいられるぞ。テレビだってガイジンの犯罪が増えている、って言ってたぞ。ゴミ捨てのルールを守らなくて周りが困ってるとも言ってたな。仕事に就けない人が増えてるのだって、あいつらがデカセギに来たせいだろう。日本に住んでるくせにオリンピックなんかじゃ自分の国を応援して騒いだりして、気にくわないんだよな。
こんなことはもちろん、一人一人の生徒が自覚しているわけではないが、根底に流れる気分として、多分、アル。
神奈川で開いている外国につながる生徒交流会でも、「『国に帰れ』って言われたことがある人?」という質問に半分近くが手を挙げていた。「イジメを受けたことがない外国の生徒なんかいない。」と断言した生徒もいた。
(その2へ続く)