こちらのページでは

毒親のもとに生まれた私の今日までのことを記しています

毒親とは

子供の成長や生活に著しく悪影響を与える親のこと

 

大友茉彩乃のプロフィール

1979年9月静岡県生まれ

当時父親29歳、母親24歳

父の実家に

祖父母と両親、そして二つ下の妹の6人で暮らしていました。

 

一番古い記憶と思えるものの一つに

祖父母がテレビを見る部屋で祖母にお説教された母が涙を拭っているシーン

これは、この後30年以上も私に愚痴るネタです

「意地悪な姑にいびられた可哀想な私」

長い間、この設定でのネガティブトークを聞かされます笑

父親はといえば、

自宅の隣で家電メーカーの下請けの会社をしており

私も幼稚園から帰るとそこで遊んでいましたが

気づくと毎日夕方には姿がなく、

その後すぐに知ることになりましたが

閉店までパチンコ屋さんにいたようです。

 

24歳で子供を産むというのは

この時代ではそんなに珍しいことでもないと思いますが

若くして嫁いで苦労もあっただろうと

今は想像もできますが

実の祖母と父親の悪口を延々聞かされる毎日は

私にとって鬱陶しいものでした。

 

子供が母親に洗脳されるのはよくあることで

私も例に漏れずすっかり洗脳されていたので

一時はおばあちゃんのことを嫌いでした。

お母さんをいじめる敵のように感じていたこともありましたが

おばあちゃんという人は

メンタルが安定しているとも、冷酷ともいえるような

まさに昭和2年生まれの気丈な人だったので

私にもとても優しいおばあちゃんではない代わりに

いつも必ずそこにいて支えてくれる存在でした。

だがしかし、この頃の私は母が全てであり

おばあちゃんがいれば大丈夫という絶大な安心感を得ていたわけではありません。

 

私の記憶では

私が幼稚園の年長(6歳になる年)から近くのアパートで暮らし始めました。

そこで私の二人目の妹(7歳差)が生まれました。

 

つづく(自己紹介2

 

ここまでのまとめ

  1. 祖母 私にも母にも厳しく、父のことは今でも承認しない姿勢
  2. 父 毎晩閉店までパチンコ屋にいる。祖母が怖くて母の味方はできない
  3. 母 祖母から6人分の夕食を1,000円で賄えと言われていたらしい
  4. 祖父 記憶では一緒に一番風呂に入っていたが、物静かで印象が薄い

 

 

 

 

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