日本語の論理と英語の論理 4 | 東京大学村上文緒愛好会

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一つ一つの言葉にこめられた作者の思いがわかったとき、古典は本当に面白いと思った。古典を楽しみたい。その思いが古い言葉の意味を求めるきっかけにもなった。

「主語-述語」は普遍的か?
英語は主体の論理が優勢な言語であることを確認したところで、ここからはいよいよ、日本語の論理について考えを進めたい。まずは、日本語の文法の最大の問題である主語-述語に関する議論からはじよう。

「川が見える」の主語は何か?
読者の中には、小中学校で作文をしたとき、教師から「君の文章には主語がないから、だめだ」と言われた方がいるだろう。また、会社で報告書等を書いたときに、上司から「何だ、この文章は。何を言っているかわからない。大体、主語がないじゃないか」と言われたことがあるかもしれない。
しかし、われわれは、普通に暮らしているかぎり、主語をあまり必要としない。たとえば、日本語では「あなたなんか嫌い」と言うが、英語では‘‘I hate you’’と言い、Iが必要になる。
ところで、
川が流れる
の「川が」が主語であることに疑問をもつ読者はいないであろう。それでは
川が見える
の「川が」はどうであろうか。主語であろうか。主語であると言う言語学者はいる。しかし、「川が見える」という文が意味する状況は、私が川を見ているということである。
したがって、「川が見える」の「川が」は、「川が流れる」の「川が」とは違う。それでは、この「川が」主語でないならば、何なのであろうか。目的語であるという言語学者もいるし、さらに対象語であるという言語学者もいる。読者は、直感的にどの意見に賛成するであろうか。ともあれ
このように、研究レベルでも実感のレベルでも、日本語の主語というものについては、あいまいさがつきまとう。
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