最近よく耳にする「親ガチャ」という言葉。
生まれた家庭によって子供の人生の選択肢がおおよそ決まってしまうのに子供は親を選べないため、どんな親のもとに生まれるかはガチャみたいに当たりはずれがあるという意味だと言う。若者がよく使うというのがネットで急激に広まり、案の定昨今やたらと人の失言などに過敏に反応するコンプライアンスにうるさい方々(笑)が「不謹慎」だと言い出し、賛否両論巻き起こる事態となっているようだ。
ピエルさんも最初聞いた時には「こんな言い方をされた親御さんはたまらないだろうなぁ」と、この言い方に否定的だったけど、よくよく情報を集めてみれば、最初は金持ちや見た目が美形の人間に対するねたみなんかを、軽い気持ちで「俺(私)親ガチャはずれだ~!」と冗談まじりに友達同士で言い合っていたのが、そのインパクトのある言葉のみがこのネット社会の中どんどん一人歩きしていったのが実情のようである。
確かに親からすれば冗談でも言ってほしくはない表現ではあるが、そういう人達の中にも、若い頃酷い親子喧嘩をした時などに「誰が産んでくれってたのんだんだよ!」とか「好きで生まれてきたんじゃねーよ!」みたいなもの言いを自分もしていた人が少なくないのではないだろうか。
ピエルさん的には、正直生理的に嫌な言葉だけど、一方で、特に親が失業したり収入減になったり、自分自身もバイトがなくなったりしてしまうようなコロナ禍の今、裕福な家庭の子供達と自分を比べて愚痴をこぼしたくなる気持ちも痛いほどわかる気がする。
また、この言葉を軽い気持ちで使う若者がいるのとは別に、このことは実は増加の一途を辿る児童虐待の問題にも深く関わってくるため、「不謹慎」の一言で若者を一方的に責めるのも間違いなのである。
賛否どちらが正しいのかではなく、これによって親子関係や他者との人間関係がさらにギスギスした世の中にならないよう一人一人がよく考えるのが大切なように思う。
ちなみに、小学校時代···同級生に家が銭湯の子がいて、裕福な家より何よりその子のことが一番うらやましかったエロピエルです😝
でも現実は、生まれや育ちで100%人生が決まるわけでもないし、また本人の努力だけですべて決まるというわけでもない。性格などが一人一人違うように人生も様々な要因によって形作られていく。人それぞれ皆が皆“平等に”不平等なのである。
とりわけ若い時は、必要以上に将来への不安や無力感、理不尽な社会への怒りを強く感じ、時に自分をコントロールできなくなることだってある。
昔の方がまだマシだったと言うつもりはないけど、やはり格差がどんどん広がりつつある現代、過酷な境遇にある若者は気の毒だと思う。
そんな気持ちを込めてこの曲を🎶
かくいうピエルさんも、新卒で就職したての頃まさにこの曲のような気持ちで毎日東京の満員電車に揺られて通勤していたものだった。。。
🎵浜田省吾『DANCE』
この曲には個人的にものすごく思い入れがあるんだけど、その話はが向いたら(?)次回にでも😙