stay home は自宅周辺も
いくら大きな街の人が減っても
すぐ近所の商店街に
繰り出したら
意味がありません!!
ここ二日、
外出は不要不急の食料調達。
やむなく買い物に出たのだが、
アルトコ町の商店街…
人の波。
スーパーとかヤバい。
通勤電車に比べれば
余裕があるけれど、
こんなにいては
いけないのでは?
というレベル。
そそくさと必要なものだけ買って
帰る途中に小耳にはさんだ、
他のスーパーの
入場制限。
そう。そういうの。
すぐやって!
それと、
夕飯のおかずを買う時間
平和な時みたいに
普通に守ってたら
だいたい、
午後3時から4時あたり
ピークになってるかも。
できれば、
様子を見ながら、
早めに動くとか、
した方がいい、
と、強く思った次第。
あと、
出来合いのものは、
テイクアウト。
stay homeとは
in my house であって、
in my hometown ではない。
・・・はずですよね。
恐怖を感じるfumikonでした。_
十干十二支でみる歴史
確かに、今から420年前は関ケ原の戦いがあった年。
庚子の年は落ち着くことのない一年になる、という噂をきいたfumikonです。
家で籠っていろいろなものを見聞きできる今、
メディアリテラシーが試される。
正しい選択、正しい知識といっても、
人心がブレている時は
何かとまっすぐとはいかないのだと思う。
でも、
授業のできない今、
私が出会った生徒たちに
必ず時間を作って説明していることを一つ
ここに記しておこうと思う。
タイトルに挙げた
十干十二支
これは、
地球の自然界の五つの要素を表す
「五行」である
木・火・土・金・水(もっ・か・ど・ごん・すい)
の一つ一つを さらに
兄・弟(え・と)
の二つに分けたものを
「甲乙丙丁戊己庚辛壬癸」
の文字であらわした
「十干」
と
日本の多くの人が
「干支」
と呼んでいる「十二支」
(子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥)
を組み合わせた
60のサイクルのことである。
「干支」の本来の意味は、
その漢字から、
十干の「干」と十二支の「支」の
両方あってのことだと考えることもできる。
文字の自由な組み合わせなら、
120通りのものができるが、
暦(こよみ・カレンダー)に使うため、
順番を崩さずに組み合わせていった結果、
十干・十二支それぞれの
奇数の順番の文字どうしの組み合わせ
偶数の順番の文字どうしの組み合わせ は存在するが、
奇数と偶数の順番では組み合わせはできない。
それで、60通りになる。
この60通りの十干十二支を、
私達の先祖や昔の方々は、
年と日それぞれに割り当てをし、
それを、今もずっと続けて使ってきている。
今でも、
神社系の暦の本や、
日本の文化色の強い
日めくりカレンダーなどでは、
たいてい平仮名ではあるが、
ちゃんと印刷されている。
「きのえね」 とか 「みずのとい」
とあれば、それは、
「甲子」 とか 「癸亥」 のことで、
あれ? 「甲子」って「甲子園」の?
だったら、「こうし」じゃないの?
と思った人、
「甲子園球場」ができたのが、
「きのえね」の年だから「甲子園」って名付けられたというのは、
ある程度の人々の間では案外有名な話なんですよ、
などという蘊蓄やトリビアにあたるネタになっているわけ。
そして、
今ではあまりメジャーではなく、
毎年正月が近づくと、
来年の干支は…という確認のとき、
子年なのか丑年なのかは確かめるけど、
年賀状ソフトの定型文をよく読むと
ちゃんと
「庚子」 「辛丑」などという語句が
出てきている。
さりげなく、私達の近くにある言葉なのである。
調べてみるとよいが、
古文書では、
日本に西暦が伝わる前は、
令和元年
のような元号での記述ではなく、
壬申 とか 丁亥 といった表記も残っている。
様々なことについての時期についての表記が
十干十二支で書き記してあることを知っておくと、
面白い、と思う人もいるのではないだろうか。
今年は 庚子 と表記される年である。
古代中国から日本に伝わったのは、
暦の見方とともに、
この60年周期の流れのスパンで
社会で、世界で
どのようなことが起こる傾向があるのかという
統計のようなもの である。
このあたりから、
いろいろな人が各自の考察から
いろいろな説を唱えていて、
それが、
メジャーな報道ツールではなく、
時に細々と
PCやスマートフォンで拾える
メディアソースにのってくる、
ということもある。
メディアリテラシー。
それぞれの情報を
時に信じ、時に疑ってみるのは
個人の自由。
でも、
他の人にまことしやかに話すのではなく、
自分の胸にしまっておいた方が良い話も
けっこう多いのかな、と思う。
占いの中に易学というものもあり、
統計をもとにした「判断」というものの一つにも
十干十二支の周期から
過去の出来事や自然災害の統計を確かめて
警告をするタイプの占い方もある。
ただ、
fumikonとしては、
常に、
昨日と同じ今日はなく、今日と同じ明日もない…
という考え方で生きているので、
ほどほどにしておくのが一番という
個人的な考えを述べておきます。
「2020年はこれからこうなる」
誰もが知りたいことだとは思うけど、
今できることは、
他の人との接触を避けましょう
という、
ただ一つのこと。
がんばろう日本。
fumikonでした。
悲しすぎて涙も出ない…
私達昭和後期に青春を送っていた世代にとっても、
平成の時代に子供だった世代にも、
そして、今日本で暮らしているすべての世代にとっても、
なくてはならない、そんな人が、
このような形でいなくなった。
志村けん…さん。
生前ならば、
当たり前にそこにいるスターであり、
永遠の笑いの神。
でも、
いなくなった。
そして、
大スターなのに、
家族の誰にも看取られず、
状況が状況なだけに
明日荼毘に付され、
家族のもとには小さな姿で戻されるのだと聞き、
どれほど残酷な話なのか、
思わず握った拳に力が入った。
この訃報を
いろいろな意味に読み替えて
いろいろなことを言っている
いろいろなことを書き込んでいる
そんな人たちがいるけれど、
黙ってろって言いたい。
静かにしてあげてほしい。
ただ、
ただ、
世間の面白いこと
明るい笑いの
あるべき空間に
ぽっかりと穴が開いた…
その喪失感だけ。
fumikonでしたる
学校の仕事、そして、今を生きるために…
気のせいではない話
テセウスの船
外さず見ているfumikonです。
少し辛くて、
少しほっこりする、
けれど、主人公に過酷。
救いがないようであり、あるようでにない。
まさに、色即是空、空即是色・・・
といふ感じに苛まれるドラマ、
だと、
勝手に思っています。
ただ、
今日の回を見ていて、
ふと、
「白鳥の王子」というアンデルセン童話を思い出した。
なぜだろう…
11人の兄王子の呪いを解くため、
誰とも口をきかずに茨の上着を11枚編む妹姫。
うっかり言葉を発してしまったら、
呪いを解くことはできない、という条件だった。
なんだか、
未来の話をすべてするわけにはいかないと、
主人公が過去の父に隠し通そうとするところと、
茨で上着を編む理由を話すわけにいかないと、
姫が自分に思いを寄せている人に何も話そうとしないところ。
その辺りのところが重なった。
しかし、
そういふ話をできる誰かがいない。
気のせいではなく、
そもそも
「白鳥の王子」すら
知らない人が多くなった気がする。
アンデルセン童話も
日本昔話も
今の若い人たちの身近にあるとは限らない。
そんな気がする。
世代を超えてあってほしかった
物語の符牒が
見えなくなり始めている。
起承転結
序破急
何それ・・・
といふ感じ。
fumikonとしては
今まで書いてきた台本、
もう、
通用しない危機感しかない。
だんだん、
この世でやりたいこと、少なくなってきたかも・・・
といふ考えに浸らないように
今を生きる日々・・・。
それが、精一杯の私。
リフレッシュ休暇取れ、
とか言われても、
リフレッシュの方法がわからない。
気のせいではない話。
疲れているのか、
衝かれているのかもわからないfumikonでした。
やっと観た。
fumikonです。
滅多にやらない一人映画館。
やっと観た。
「ひとよ」
違和感のない日常。
他の人から見ればありふれた日々。
だけど、
個々の人生においては、
特別な瞬間や
非日常が横切るタイミングが混ざる。
fumikonがこのブログで過去に綴った
「白波」と呼んでいる
人生の岐路、
ターニングポイントが
見えたり、
フッと浮かび上がったり
沈んだり…
母は強し。
でも、本人に自覚なし。
一つ一つのターニングポイントで
自分ができるという意味での
最善の選択をしている。
他から見れば
それは強そうに見えるけど
本人は他者評価に馴染むことはない。
必ずしも子供たちにとって最良ではないけれど、
母としての最善を選び、実行した。
と、考えれば、こうなるかな、と腑に落ちる。
それにしても精神的派手さはなく、
佐々木蔵之介さんの
跳び蹴りされるいきさつもわかり
三兄妹は役者と思えないほどの馴染みっぷり。
母は母。本当は三人いましたね。
皆、お役を生きてました。
今も、あの場所で暮らしてるかも、
と思える感じでした。
それにしても、
音尾さんが、
竹中直人に見える瞬間は何だったのか…
亮平さんは、たまに飯尾さんに見えたけど、
気になりません。自然体でした。
パンフを記念に買って、
サントラを通販で探します。
観た映画か良かったときのルーティン。
「日常」を スクリーンで観る 非日常
地元に帰れば いつもの日常…
というわけで、fumikonでした。
自主的な現代劇の観劇は二度目?
いくつになっても
夏休みが終わる、という憂鬱は
何も小さき者だけの話ではありません。
若くない自分への不安が
押し寄せているfumikonです。
実は、
気持ちよく過ごしたありがたい時間の日も、
そこへ向かうまでの電車の中で、
杖をついているから優先席をゆずられた時、
心にさざ波が立つ瞬間があった。
その時、
しっかり者の上品なお母さんと
小さな男の子が座っていて、
お母さんが私に席を譲ってくれた。
当然、お母さんが座らないと
火のついたように泣いていやがる子供に
「ごめんねぇ」と一言声をかけた。
おっ、
ワガママ度合いが下がった。
過去にはぶたれたこともあるので、
こちらには当たり散らさないだけ、エライぞ。
・・・と思っていたら、
「ここは、優先席って言ったよね。
おばあちゃんが来たら
席を譲るところなのよ、
って言ったでしょ?」
・・・
・・・
・・・
ハウッ。
「おばあちゃん」
ボディブロー。
鳩尾に一発の態で
入りました。(苦笑)
ハリハリのリバウンドボディ効果で
年より10歳前後若く見られることが
多い、という自負がすっ飛んだ。
電車の中で、
初、おばあちゃん認定。
まあ、わかるわな。
運動しないできないfumikonは
体力低下、実感しまくり中だから、
言われても別にそれは仕方ないことだけれど。
・・・油断していました。
そんなおばあちゃんが、
新学期フルスロットル授業開始になったら
歳を重ねるごとに辛さを感じること、
半端ないのであります。
ここ数年、気力で乗り切る9月第一週が
明後日から始まる。
半月後の期末テストの準備も今のうちから。
今年は他にも仕事の山がエベレスト。
高さも歯ごたえもキッツイ日々は
授業がないだけで、
正直夏休み中も変わらなかった。
人間ドックの結果を見ても
もう無茶できないし。
生活改善しないとね。
でも、秋の演劇発表も加わり、
仕事は減りませんね。
fumikon@気力で生きてる日々・・・でした。
ありがたい時間
今日は、人生で二度目にして、
自分で選んだという意味では初めての
名のある方との握手。
前回は、25年近く前。
歌舞伎を観に行くルーティンで
俳優祭に行った時、
飲み物売場でたまたまいらした
名のあるイケメン大看板の俳優様に
お買い上げのお礼の握手。
大変貴重な経験であった。
そして、今日。
先ほど、約四半世紀ぶりに
今、脂の乗った俳優さんと握手。
握手会など参加なんて
まさかのことだったが、
一人10秒をどう味わうか、
ということをしばし考えた挙げ句、
ありがとうございました。
10月(の芝居)観に行きます。
とだけ、言った。
こういうときは、
そう簡単に
言いたいことが言えるわけではないので、
無欲でいった次第。
もっと時間があれば、
爪の垢ください。
うちのポンコツ演劇部員たちに
煎じて飲ませたいので。
くらい言いそうでした。
鈴木トーク第一部。
当たっちゃってビックリでした。
アラフィフにとっては
ありがたい時間でした。
亮平さん、ありがとうございました。
今回も質問取り上げられてビックリの
fumikonでした。
