福祉の仕事に就いている私にとって、興味深い記事がありました。
2025年5月、ある男性がX(Twitter)に、「優先席で若者が高齢者を立たせ、平然と座っていた」という主旨の投稿をしました。投稿した男性は、若者が本来の(優先席の)利用者である高齢者を無視しているように感じ、思いやりが欠如している…といったように感じられたのでしょう。
これに対し、生まれつき下肢の関節に障害があり、人工股関節を入れているという男性が、「世の中には、目に見えない『不調』がある。少しでも、想いをはせていただけたらと思います」と引用リポストする形で投稿されていました。当該の投稿者さんは20代の頃から、「若いのになぜ(優先席に)座っているんだ?」と言われ続けてきたそうです。
こういったニュースが話題になるたびに、「電車やバスで席を譲るのは『絶対』なのだろうか?」「世の中には見た目で分からない事情を抱えている人が沢山いる」ということを感じてきました。
私は現在、放課後等デイサービスに勤めていて、知的障害・発達障害を持つ児童生徒の支援をしていますが、見た目で病気や障害があることが分かりません。児童生徒によってはてんかんなどの疾患を合併していることもあります。
知的障害や発達障害は先天的なものですが、健康だった人が人生の途中で病気やケガなどをして、「障害」を負うことになるケースもあります。実際、脳卒中を患い半身麻痺の後遺症を負ったブロ友さんもいるし、抗がん剤治療の副作用で心不全を患い、生活に大きな制限を強いられてしまった女性もいました。
抗がん剤の副作用で心不全を患った女性は階段の上り下りや重い荷物を持つことも禁止されているそうです。心臓の病気は見た目で分からないため、駅などでエレベーターを使おうとすると、「健康そうなのになんで?」と思われているのではないか、と仰っていました。
子どもの頃から公共交通機関のマナーとして、「お年寄りなど座席を必要としている人に譲りましょう」と教えられてきましたが、障害福祉の仕事に就いてからは「それって『絶対』なのだろうか?」と引っかかるようになりました。席を必要としている人に声をかけて譲るのは大切なことです。しかし、冒頭でも書きましたが、見た目では分からない事情を抱える方が沢山いらっしゃいます。病気などで席を譲りたくても譲れないような方にとっては、「しんどい」「生きづらい」と感じてしまうのではないでしょうか。電車やバスの座席だけでなく、「多目的トイレ」でも同様のことが言えると感じます。
