Twitter(X)でフォロワーさん&ブロ友さんとやり取りしていて思ったことについて書いていきます。


 「歩き旅」を趣味とするブロ友さん&フォロワーさんがいるのですが、「ウォーキングは『やるスポーツ』だけど、『見るスポーツ』『見せるスポーツ』にもできるんじゃないか」と考えているとのこと。スポーツではありませんが、「旅行」においても同じことが言えると思いました。


 ブロ友さんはお散歩や街歩き、街道歩きや100kmウォークなどの大会にしても、歩いている途中の景色・スポットや雰囲気が分かるようにX(Twitter)で実況中継のようにつぶやいているとのこと。私は防犯上の理由があるので、旅行中にXでつぶやくのは控えていますが、帰宅後に旅行記の執筆をアメブロで行っているのは皆さんご存知かと思います。


 私にとっては「旅行記の完結まで」が旅行であり、旅行記の執筆中に行う「事後学習」から得られる気付きも多いなぁと感じます。これが私の「旅行の『見せる』化」であり、文章を書くのが好き…いや、文章を書くことがライフワークだと思っている私にとっては「旅行記は一種の文学作品」だと思うくらいです。


 2014年の盛岡旅行から様々な旅行記を書くようになり、現在は東日本大震災の被災地慰霊の旅行記とゆるキャライベントの参加レポートが中心となっています(^_^;) 被災地慰霊の旅行記は長文かつ内容が重いですが、被災地の現状に加え、それに対して自分がどう思ったのかを余すことなく書き記したいのです。



 私がブログ記事を書く上で特に心掛けているのは、「その道(趣味)を知らない人にも伝わるように」ということです。つまり、「誰が読んでも分かりやすく、伝わるように」ということです。震災慰霊の旅行記でも、ただ「悲惨だった」「悲しかった」だけにならないよう、震災前の様子をはじめ、現地の地形や特徴などが文章から伝わるように工夫しています。

 一方、ゆるキャライベントの参加レポートでも、ただ「可愛い」「楽しかった」だけにならないようにしています。それぞれのキャラクターが持つ「故郷」や「背景」が伝わるように工夫しています。



 しかし、シリアスな連載でも、楽しい連載でも一番大切だと思うのは「自分の考えを書くこと」なのかと思います。これまでに5回、東日本大震災の被災地慰霊の旅をしてきましたが、どの旅でも一貫して訴えてきたのは「人間にはどんなに頑張ってもできないことがある」「個人の努力や意志では変えられないことがある」ということです。母親の死やこれまでの仕事(障害児者の支援)で感じてきたことですが、「実際」を見たことでその思いはさらに強くなりました。結局は「命の大切さ」に帰結するのかもしれませんが、それが私の「根幹」、小説でいう「主題」なのかもしれません。


 「楽しい旅」からかけ離れた話題ばかりが続いていますが、「命」「生と死」「人生」を見つめる旅は続けていかなければいけないと常々思います。そして近々、戦争慰霊の旅にも行く予定です。ダンスができるのは平和な世の中だからこそ…。そう遠くないうちに始まるかもしれない連載の伏線かもしれませんよ…。