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 震災伝承施設「MEET門脇」を出たあとは、すぐそばにある「石巻南浜津波復興祈念公園」へと足を運んだ。前回の記事の終盤で触れたが、「どうしても見たかった慰霊碑」があるためだ。
 
 まずは昨年(2023年)にも訪れた「石巻市慰霊碑」に手を合わせに行った。東日本大震災により亡くなられた石巻市民と、石巻市内で犠牲になられた他市町村の住民の名前も刻銘されている。写真は昨年撮ったものだが、およそ4,000人ものお名前が刻銘された慰霊碑は非常に大きく、私のスマートフォンのカメラには収まりきらなかった。テレビや新聞で何度も取り上げられた方のお名前を見ると、この震災が実際にあったことだという現実を突きつけられた。
 
 そしてここからが「私がどうしても見たかった慰霊碑」の話になる。それは石巻市内の学校でALT(外国語指導助手)として勤めていたテイラー・アンダーソンさんの慰霊碑だ。慰霊碑は本の形をしており、「Live Your Dream  夢を生きる」と刻まれている。テイラーさんのご両親により、2023年4月に除幕された。
 
 
 テイラー・アンダーソンさんの記念碑の説明書きもあった。
 
 テイラー・アンダーソンさんは1986年、アメリカのバージニア州で生まれた。子どもの頃から日本に興味を持っていたテイラーさんは、「日米の架け橋になりたい」という夢を持ち、大学で日本語を学んだ。地元の大学を卒業し、JETプログラム(日本政府の語学指導等を行う外国青年招致事業)に合格して2008年に来日。ALTとして石巻市内の幼稚園や小中学校で子どもたちに英語を教えていた。子どもたちからは「テイラー先生」と呼ばれ、親しまれていた。
 
 東日本大震災が起きた2011年3月11日、テイラー先生(当時24歳)は石巻市立万石浦(まんごくうら)小学校に勤めていた。児童を安全な場所に避難させたあと、自転車で自宅に戻る途中で津波に巻き込まれ、後日遺体で発見された。厚労省のまとめでは、東日本大震災で犠牲になった外国人は41人とされているが、アメリカ人の犠牲者はテイラーさん1人だけであった。
 
 テイラーさんの死後、ご両親は「もしテイラーが生きていたら、復興のため、子どもたちのために何かしたいと考えたはず」と思い、本が好きだったテイラーさんを記念した文庫を作ろうと考えたという。そこで、2011年9月、万石浦小学校に第1号となる「テイラー文庫」の贈呈式を行い、約40冊の本を寄贈した。その後も「テイラー文庫」は数を増やし続け、石巻市内の小中学校を中心に、20ヶ所以上に設置されている。
 
 
 私が「テイラー先生」のことを知った詳細なきっかけは覚えていないが、2022年2月に石巻を訪れたあと、椙山女学園大学の栃窪研究室が制作したYoutubeの動画を見たことがきっかけだったと記憶している。どうやら震災が起きた翌年から石巻に足を運び、取材を続けているようだった。私があのとき行った門脇・南浜地区が映っており、いくつもの映像を見る中で「テイラー先生」のことを知ったように思う。
 本音を言えば、テイラー先生も子どもたちと一緒に逃げて欲しかったし、生きていて欲しかった。テイラー先生本人もこういった形で有名になるとは思っていなかっただろうが、夢に向かって努力していた若者がいたことを忘れてはいけないし、実現できるかどうかに関わらず、「夢」を持つことの大切さを学んだ。テイラー先生は本を読むことで「自分の夢は何だろう」と考えていたというが、私自身も本に限らず、色々な人の考えに触れていく必要があると感じた。
 
 椙山女学園大学の栃窪研究室が制作した「テイラー先生」に関する動画があるのでぜひご覧頂きたい。(震災直後の映像がありますので閲覧の際はご注意下さい)

 

 コチラはTBSの動画だが、テイラーさんのご両親のインタビューだけでなく、「テイラー文庫」の本棚を作った木工作家・遠藤伸一さんによるインタビューもある。遠藤さんは震災で3人のお子さんを亡くされ、「生きる意味」を見失っていた。そんな中、遠藤さんのお子さんがテイラー先生の教え子であったことなどから、「テイラー文庫」の本棚を作ることになった。(こちらも地震・津波の瞬間の映像がありますので、閲覧の際はご注意下さい)

 

 

 テイラー先生の慰霊碑のすぐそばには木製のベンチも置かれていた。
 
 木製のベンチが太陽の光に照らされている。ベンチの先にはテイラー先生の慰霊碑がある。優しく降り注ぐ太陽の光が、石巻の人々を見守っているように思えた。
 
 最後に、「がんばろう!石巻」の看板を撮って公園をあとにした。震災から13年経って、今の石巻はどのように映っているだろうか。街は蘇っても、心の復興まではまだ遠い。そして震災前の記憶がどんどん薄れていく。これまでの記事で何度も書いているが、復興にゴールはない。東日本大震災は今も「現在進行形」で続いているのだ。
 
 他の慰霊碑も見たかったが、帰りの仙石東北ラインの関係もあり、16時前にタクシーを呼んで、石巻駅まで送ってもらった。16:55発の仙石東北ラインに乗って仙台駅へ向かい、お土産とお弁当を買ってから18:31の東北新幹線「はやぶさ38号」に乗った。牛タン弁当を買って新幹線の車内で食べるのも4回目になってしまった(笑)
 
 
 定刻通り、20:04に東京駅に到着した。その後は別の電車に乗り換え、千葉の自宅に到着したのは21時半過ぎだった。
 
 これにて「双葉・石巻 13年目の現実」本編完結です!次回の「終章」にて本当の完結となります。連載長期化してしまい「いつ終わるのか?」と思った方、申し訳ありませんでしたm(_ _)m