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 多忙につき更新が滞っていました。申し訳ありませんm(_ _)m 年度をまたいでしまいましたが必ず完結させます!



 震災伝承施設「MEET門脇」にはご遺族からお預かりした遺品が展示されており、その中に、石巻市立大川小学校で被災した児童の遺品が展示されていた。下の写真は「けんとくんのジャンパー」と「はなちゃんのランドセル」である。
 いつもなら実物が展示されているが、私がMEET門脇を訪れた1/28(日)では、東京臨海防災公園「そなエリア東京」にて出張展示されていたため、今回は写真パネルのみの展示であった。


 「けんとくん」「はなちゃん」とは、大川小学校に通っていた鈴木堅登(けんと)さんと巴那(はな)さん兄妹のことである。当時小学校6年生だった堅登さんは遺体で見つかり、小学校4年生だった巴那さんは震災から13年経った今でも行方不明となっている。
 堅登さんが着ていたジャンパーは震災の翌年に見つかり、津波でちぎれた左袖は2019年に見つかった。一方、巴那さんのランドセルは津波によって校舎の屋根の上に打ち上げられていたのを、地元の消防団によって発見された。
 
 「はなちゃんのランドセル」に関しては、2023年1月末に大川小学校を訪問したときに実物を見ている。震災直後に発見されたランドセルは泥にまみれていたが、そのままではかわいそうだと、巴那さんのお祖母さんが何度も洗って乾かしたという。ランドセルと一緒に展示されていた音読の宿題のカードは、震災前日の3/10で止まっていた。「家族は必ず会えると信じ、今も捜し続けています」の文言が胸に強く突き刺さったのを覚えている。

 「毎日小学生新聞」の記事も展示されていた。巴那さんの天真爛漫な笑顔が強く印象に残る。「帰り待つランドセル」の見出しを見て、巴那さんがもう一度、ランドセルを手に取ることができたら…と願わずにはいられなかった。

 巴那さんが考えた「しぜんゆたかな大川に みんなで咲かそうえがおの花を」という(大川地区の)生活標語も紹介されていた。この生活標語は巴那さんが小学校3年生のときに作られ、震災の前年(2010年)に「特選」を受賞した。
 巴那さんは「私は山、川、海の自然にかこまれた大川に生まれてきて、とても幸せだなと思っています」とコメントしている。都市部と比べると、生活の利便性は劣るかもしれないが、豊かな自然と家族、学校を愛する様子が伝わってくる。そんな「自慢の故郷」が、人に住めない区域になってしまうとは誰が想像しただろうか。


 こちらは「日和幼稚園」(石巻市)に通っていた佐藤愛梨ちゃん(当時6歳)の上履きとクレヨンケースである。震災当時、高台にある日和幼稚園は沿岸部に住む園児達を自宅に送り届けるべく、愛梨ちゃんを含む園児12人を送迎バスに乗せて出発した。門脇・南浜地区に住む園児7人を門脇小学校で降ろし、愛梨ちゃんを含む残り5人を乗せてそれぞれのご自宅へ向かおうとしたところ、大津波警報が発令された。大津波警報発令を受けてバスは園へ引き返すが、その途中で津波に巻き込まれ、さらにその後の津波火災で焼けてしまい、愛梨ちゃんを含む5人の園児が犠牲になってしまった。
 愛梨ちゃんの遺品であるクレヨンケースと上履きはほんのごくわずかに原形をとどめるのみで、あとは真っ黒に焼け焦げ、高温で溶けていた。


 日和幼稚園が安全配慮義務を怠ったとして、ご遺族との間で裁判になったというが、当時の園側の考えとしては、「どんなことがあってもまずは園児をご自宅に送り届けるべき」というものがあったのだろう。日和幼稚園に限らず、他の園や学校でも同様の考えがあったのではないかと考える。しかし、その考えが必ずしも正しいとは限らないということを知ったのもまた、東日本大震災だった。もちろん災害は起きないのが一番良いことだし、起きてからでないと気付けないことは沢山あるのだが、東日本大震災が発生したのは14:46で、子どもたちが園や学校にいる時間帯だった。在校中に地震が起き、大津波警報が発令されたことにより、子どもたちの対応をどうするかで意見が割れた学校や園も多かっただろう。

 東日本大震災が起こる前までは、「大きな災害が起きたら子どもを確実に保護者に引き渡す」というのが、これまでの防災の「常識」だったように思う。そもそもの学校の責務が「子どもを無事に親御さんのもとへ帰す」というものだからだ。また、避難する際も、「全員が揃っているのを確認してから避難する」というのが「常識」だったように感じる。しかし、東日本大震災は地震が起きてから津波発生までのタイムラグが短く、それも想定を遥かに上回るものだった。私はこれまでに色々な「学校」を見てきたが、学校近くに高台があり、揺れがおさまってすぐに高台に避難した学校では多くの児童生徒が助かっていた。しかし、大川小学校のように、すぐ近くに高台がない地域や、日和幼稚園のように「保護者に子どもを引き渡す」ことを優先した園や学校では犠牲が出てしまうケースもあった。

 何が正解で、何が間違っているかは誰にも分からない。ただひとつ言えるのは、何もかもを破壊してしまう自然災害から助かるには、「逃げる」ことしか方法はないということだ。子どもだけでなく、先生にとっても「まず逃げる」ことがスタンダードになることを願わずにはいられない。

 それでは次回に続きます!