※震災遺構、被災物の写真があります。閲覧の際はご注意下さい。


前後の記事はコチラから。



 日和山公園の階段を降りて門脇地区に降り立ったあとは震災遺構の「石巻市立門脇小学校」へと足を運んだ。門脇小学校は去年(2023年)1月末に訪問して以来、2回目の訪問である。
 石巻市立門脇小学校は東日本大震災の震災遺構では唯一、「津波火災」による痕跡を残すものとなっている。門脇小学校は校舎1階が津波で浸水し、その後の津波火災で校舎が燃えてしまった。損傷が激しかった部分は解体され、校舎中央部分が遺構として残っている。

 震災直後は火災で焼けてしまい、真っ黒になってしまった校舎だが、時間の経過とともに白さを取り戻していったという。

 前回(2023年)の旅行では外観を詳細に見学していなかったなぁと思い、外観を見てみる。歪んだ窓枠、ボロボロになってしまった壁が痛々しい。

 火災の影響で窓ガラスが割れてしまっている。室内が丸見えになってしまっているが、おそらく職員室だったところだろう。

 外から校舎の中が見られるようになっていた。丸焦げとまではいかなくても、地震と津波の被害を受けて、何もかもが壊されている。


 外に残っていたものも当時の地震と津波の影響なのか、歪んでいた。


 外観を見学したあと、大人入館料600円を払って併設されている展示館に入る。門脇小学校は昨年も見学しているため、今回の旅行記では、昨年撮影できなかったものをメインで紹介していく。

 最初の展示は門脇小学校の体育館で見る。体育館は震災被害をほとんど受けず、改装されてほぼ当時のまま使われていた。
 下の写真は被災した車両で、北上総合支所で使われていた公用車が展示されている。現場作業に行く際に日常的に使われていた。発災当日は北上総合支所の駐車場に停めていたため、大津波で流され、大破した状態で見つかった。また、北上総合支所には屋上を超える高さの津波が押し寄せ、避難してきた住民や職員が多数犠牲となってしまった。。



 その後は順路に沿って、津波火災で焼けた校舎を見学した。当時使われていた教室やランチルームが残っていたが、津波火災の激しい炎に包まれ、「色」すら残っておらず、当時の面影は全く残っていなかった。写真は昨年も見学しているため、今回の記事では割愛させて頂く。昨年の旅行記も併せてご覧頂けると幸いです。(被災当時の凄惨な写真が多いため、閲覧の際は十分ご注意下さい)

 それでは次回に続きます!