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 それでは旅行2日目の日記を綴っていきます!
 
 午前7時台に目が覚めただろうか。身支度を整えたあと、ホテル1階の朝食会場へ向かい、朝食バイキングで海鮮丼や豚汁、笹かまぼこ、ずんだ餅などを選ぶ。ドーミーインの朝食バイキングの最大の特徴は当地の郷土料理などが提供されることだ。
 ドーミーイン仙台駅前の朝食バイキングを利用するのも3回目だが、海鮮丼と笹かまぼこ、ずんだ餅は外せない存在になっている。ごちそうさまでした!
 
 その後、朝風呂に入り、10時頃にホテルをチェックアウトした。仙台駅から10:18の仙石東北ラインに乗って石巻駅へと向かう。「10:18の仙石東北ライン」もすっかり暗記してしまった(笑)定刻通り、11:16に石巻駅に到着した。
 
 旅行2日目のプランは、石巻駅から歩いて日和山公園へ向かい、日和山公園の階段を降りて門脇地区へ行き、震災遺構「石巻市立門脇小学校」と震災伝承施設「MEET門脇」を見学する。最後に石巻南浜津波復興祈念公園で慰霊碑やモニュメントを見学してから千葉の自宅に帰る、というものにした。
 
 石巻駅に着いたらコインロッカーに荷物を預け、歩いて日和山公園へ向かう。歩いて日和山公園に行くのは2022年2月の旅行以来、2年ぶりだ。2年前の旅行のときは「いしのまき元気いちば」で昼食を食べてから日和山公園へ行ったが、ホテルの朝食を沢山食べていてお腹が空いていなかったため、駅から直接日和山公園へ行くことにした。
 
 石巻駅前にイオンがあるのだが、実は東日本大震災の津波浸水深のラインがある。お恥ずかしながら、今回石巻を訪れて初めて知った。身長152cmの私が立ってみると、そのラインは私のくるぶし~ふくらはぎくらいの高さになった。
 高さだけ見ると「低い」ように見えるが、津波の浸水が30cmになると歩くことが難しくなると言われている。だからこそ、一刻も早く逃げなければならない。
 
 駅から直接歩いて日和山公園へ行くが、至るところに「津波襲来の地」と書かれた柱や、当時の津波浸水深を表すものが見られる。石巻駅前を歩くのは2022年以来2年ぶりだが、今回歩いて初めて知ったものもあった。車移動では分からない現実がここにある。
 
 この建物に表示されている津波浸水深は石巻駅前で見たものよりも遥かに高く、私の身長よりも高かった。
 
 道をまっすぐ歩いていくと、「石巻市立石巻小学校」が見えてくる。「津波避難ビル」のマークがあり、災害時の避難場所にも指定されている。改めて、津波のリスクがある土地であることを感じる。
 
 
 この電柱には、津波避難場所(日和山公園)への方向と距離が書かれている。
 
 しかし、矢印の方向が指すのはものすごい急坂だ。日和山公園へはこの坂道を上っていかなければならない。東日本大震災が起きたあの日も、多くの人がこの坂道を上って避難したのだ。私も2年ぶりに坂道を上った。
 
 33歳の私だが、2年ぶりの日和山公園への坂道は大変だった。さすがに休みなしでは上れないため、写真撮影も兼ねて少し休憩してから足を進める。途中で郵便配達のバイクを見かけたが、大変な中配達お疲れ様ですと心の中で声をかけた。
 
 坂道で立ち止まってパチリ。旧北上川と石ノ森萬画館が見える。天気が良く、空が澄んでいた。
 
 なだらかな道になり、公園が近付いてくると、「たい平桜」と名付けられた大きな桜の木を発見。1月末であったため、まだ桜は咲いていなかったが、その力強さに感銘を受け、写真に収めた。
 
 「たい平桜」の由来を説明した看板もあった。落語家の林家たい平さんは大学時代、落語研究会に所属していたが、大学卒業を目前にして進路に悩んでいた。そんな中、石巻を訪れ、現地の老人ホームで落語を披露したところ喜んでもらい、日和山公園の桜の木の前で「落語家になろう」と決意したという。
 林家たい平さんは震災後も石巻に通い続け、被災された方に「笑い」を届けてきた。そのご縁もあり、石巻市の観光大使にも任命された。また、2023年には石巻市複合文化施設(マルホンまきあーとテラス)の名誉館長にも任命されている。
 
 
 日和山公園の様子は次回の記事にて綴っていきます!