※東日本大震災発生直後の地震・津波・原発事故に関する写真があります。閲覧の際は十分にお気を付け下さい。

 

前回までの記事はコチラから。

 

 

 双葉町産業交流センターでなみえ焼そばを食べたあとは、旅行1日目のメインである「東日本大震災・原子力災害伝承館」を見学する。

 

 

 この施設は2020年9月に開館し、福島県内の地震、津波被害に加え、原発事故の実態に関する展示もあるのが大きな特徴である。大人料金600円を払って中に入る。施設の詳しい情報は下記のリンクからご覧下さい。

 

 入館料金を払うと、受付のすぐ近くにあるシアタールームに案内された。ここで導入となる短編映像が上映される。高度経済成長のさなかに福島第一原発が建設され、運転が始まったこと、働き口ができたこと。何十年と運転してきた中で起きた東日本大震災、そして原発事故。双葉町をはじめとした双葉郡内の主な産業は「農業」であったが、寒い冬の間は出稼ぎに行かなければ収入が確保できなかった。そこに原発ができて1年中働ける場所ができたということはまさに「福の神」だったのだろう。

 

 そして東日本大震災発生時の映像が流れる。最大震度7の大地震に大津波、そして原子炉建屋の水素爆発のシーンには思わず息を呑む。その後、高い放射線量により「帰還困難区域」が設定されたのは既知の通りである。

 

 短編映像の上映が終わったあとは、順路に沿って見学していく。最初は東日本大震災の発生から現在までのできごとを時系列に表した展示を見学した。展示物の写真撮影は商用目的でなければ可能とのことであったため、読者の皆さんにも「自分ごと」として考えて頂きたい思いを込めて掲載する。

(以下、東日本発生直後の地震・津波・原発事故の写真がありますので、閲覧の際は十分お気を付け下さい)

 




 2011年3月11日14時46分、東日本大震災発生。15時頃から津波が到達し、福島第一原発付近に津波が到達したのは15:37頃であった。原発付近に到達した津波はおよそ13mだったという。

 

 その日(3月11日)のうちの19:03には福島第一原発の原子力緊急事態宣言が発令される。そして21時近くになってから、該当する区域に避難要請・避難指示が出された。お恥ずかしながら、夜のうちに避難要請等が出されていたことは初めて知った。

 

 2011年3月12日15時36分、福島第一原発1号機の原子炉建屋が水素爆発を起こす。震災当時、私は大学2年生だったが、地震と津波被害のインパクトが大きく、原発事故のことは頭に入ってこなかった。原発事故のことを知ったのは震災の翌々日(3/13)の新聞だった気がする。時系列での展示を見て改めて、自分の知らないことが沢山あったことに気付かされた。


 震災から1ヶ月後の2011年4月11日、4月12日には福島県いわき市で震度6弱の余震が相次いで発生したそうだ。怖かっただろうなぁ…。余震が復興作業の妨げにもなっただろう。


 時は流れ、2017年3月31日に川俣町で避難指示が解除された。同日には飯舘村と浪江町で避難指示区域の一部が解除されている。請戸漁港に停泊している漁船が掲げている大漁旗が誇らしく揺れていた。


 2017年4月1日には富岡町でも避難指示区域の一部が解除された。翌年(2018年)には震災以来、8年ぶりに桜まつりが開催された。住民の「この日を待っていた」という笑顔に心打たれた。


 2020年3月4日、震災から9年経って、双葉町で避難指示区域の一部が解除された。それに伴い、常磐線で震災以来、9年間不通となっていた富岡〜浪江間の運転が再開され、常磐線が再び全線で繋がった。常磐線特急列車の写真を見て、この日をどんなに待ちわびただろうかと考えてしまう。コロナ禍で先の見えない世の中になってしまったが、人々に大きな希望を与えたのは間違いない。2020年9月に東日本大震災・原子力災害伝承館がオープンしたところで、時系列での展示は終わっていた。


 ブログにまとめて改めて、前例のない大きな事故に向き合ってきたこと、復興に向けての歩みがよく分かった。展示は災害伝承館が開館した2020年9月で終わっているが、復興は今も続いていることを忘れてはならない。


 次回も災害伝承館見学の様子を書いていきます。それでは次回に続きます!