2024年1月27日(土)と1月28日に、私は5回目となる東日本大震災の被災地慰霊の旅に行ってきた。行き先は福島県双葉町宮城県石巻市である。1泊2日の旅行の概要と行程は以下の通りになる。

 

〈旅行1日目〉(2024年1月27日)

自宅出発→東京駅から常磐線の特急ひたちで双葉駅へ→東日本大震災・原子力災害伝承館を見学→双葉駅から特急ひたちで仙台駅へ→ドーミーイン仙台駅前に宿泊。

 

〈旅行2日目〉(2024年1月28日)

仙台駅から仙石東北ラインで石巻駅へ→駅から徒歩で日和山公園へ→震災遺構「石巻市立門脇小学校」を訪問→震災伝承施設「MEET門脇」を見学→石巻南浜津波復興祈念公園のモニュメントなどを見学→石巻駅から仙石東北ラインで仙台駅へ→仙台駅から東北新幹線で東京駅へ→帰宅。

 

 

 宮城県石巻市は今回で3回目の訪問であるが、福島県双葉町を訪れるのは初めてである。また、福島県を訪れることも初めてであった。

 

 双葉町を訪れたいと思った理由は、「帰還困難区域」となった地域の「今」を知りたかったからだ。双葉町は2011年の東日本大震災と福島第一原発事故以来、町のほぼ全域が「帰還困難区域」に指定されていたが、2022年8月に「特定復興再生拠点区域」内での避難指示が解除され、およそ11年半ぶりに終日人が居住することができるようになった。11年半の時を経て再び動き出した双葉町の現実を見てみたいという思いから、今回の慰霊の旅が実現した。

 

 そしてもう1つ、福島県の現実を知らなければいけないと思った展示がある。それは昨年(2023年)1月、石巻市立門脇小学校で見た。(引用文は読みやすいように句読点などを使用しています)

 

現在進行形

 

節目という言葉をよく耳にします。

気持ちの整理や前を向く気持ちのあらわれだから

一概に悪いことばとは思いません。

 

ただ 憶えておいてほしいのは

東日本大震災で犠牲となった方とは

 

死者 15,899人

行方不明者 2,526人

そして関連死 3,774人以上

 

以上とは、今後も増え続けるということ

現在進行形を意味しているのです。

 

関連死が多いのは福島県です。

わが家があるのに戻れない 住めない現実を

あなただったら どう向き合いますか。

震災からの復興とは

そう 単純なことではないのです。

 

 

 

 私はこれまでに4回、震災慰霊の旅をしてきたが、訪れたのは宮城県と岩手県のみであり、福島県には全く行ったことがなかった。そして原発事故のことはほとんど知らない。震災の一報を知ったときも、地震と津波のインパクトがあまりにも大きくて、その後の原発事故のことは頭に入ってこなかったのだ。


 東日本大震災が現在進行形で続いているということは、これまでに訪れた石巻、気仙沼、陸前高田、南三陸でも感じてきた。「非可住区域」(災害危険区域)の指定、人口減少、それに伴う学校の統廃合など、どんなに頑張っても震災前の生活には戻らないことを知った。しかし、決して元の暮らしに戻らなくても、新たな商業施設や観光施設ができて、徐々に活気が出てきている。


 ところが、今回訪れた福島県双葉町では、町の大部分が10年以上も「帰還困難区域」に指定され、人々の生活の営みさえ許されなかった。そのためなのか、双葉駅と伝承館周辺に地元の人の気配はなく、13年前から時が止まったままの建物が沢山あった。


 宮城県石巻市は今回で3回目の訪問になるが、2022年に訪れた日和山公園と震災伝承施設「MEET門脇」、2023年に訪れた震災遺構・石巻市立門脇小学校を再訪した。一度訪問したことのある施設でも、複数回訪問することにより得られる新たな気付きがある。そして、一度見ただけでは分からないことも沢山あることを改めて実感した。


 旅のタイトルは「双葉・石巻 13年目の現実」とした。東日本大震災から13年を迎える被災地の「ありのまま」を綴っていきます。