1ヶ月半ほど前ですが、NHKニュースWEBの記事で面白い記事を見つけました。

 

 

 山陰地方を拠点とする家電メーカー「山陰パナソニック」が、新人研修として「一人旅」を取り入れたという話です。しかし、「研修」である以上、好き勝手に旅をしていいわけではなく、様々な制約やミッションが存在します。

 

 その「制約」や「ミッション」の内容ですが…

・出発の2週間以上前に旅程を提出。

・交通手段は「青春18きっぷ」のみ。(つまり、新幹線や特急列車、マイカーの利用は不可。ロープウェイや連絡船等は予算内で自己判断)

・研修中は会社が管理するSNSアカウントに毎日投稿。(最低でも1日1回はその日のできごとを投稿しなければならない)

・毎日10人以上、地元の人に声を掛ける。

・訪問地域の「困りごと」を見つける。

 

 す、すごい…Σ(゚Д゚)

 自分が「合格点」を貰えるような旅ができるのかと言われると自信はありませんが、私の「旅のスタイル」に通じるところがあるな~と思いました。

 

 私の旅行計画は大まかだし、一人旅という特性上、突然の計画変更もありますが、2013年に一人旅を始めたときからずっと貫いていることがあります。それは「当地でしかできない体験をする」ということです。実際、現地での食事は郷土料理など、当地でしか食べられないものを中心に選ぶようにしています。同じ日本でも異なる食文化があることを学ぶきっかけにもなりますからね。原爆ドームなどの戦争遺跡や震災伝承施設の見学も「当地でしかできない体験をする」ことに当てはまるのかな?と思います。


 また、旅行記をブログで書くようになってからは、自分なりの「旅のテーマとタイトル」を決め、その地に旅行に行こうと思った「きっかけ」から「総括」まで書くことにしています。貴重なお金と時間を掛けて遠隔地へ行く以上、「目的」のある旅をしたいと考えているからです。


 このようなスタイルを取るようになったのは2015年の広島旅行からでした。戦後70年を迎えること、自分自身も25歳を迎える「節目の年」であることから、「日本人なら一度は行っておきたい場所」として広島を旅行先に選びました。旅のテーマが「戦争と平和を考える」であったため、原爆ドームと平和記念資料館、呉市の「大和ミュージアム」の見学をメインに行程を組みました。


 2015年の広島旅行のことをブログに書いていて思ったのは「事後学習」で得た気付きが多かったことです。戦争や原爆の悲惨さを伝える「原爆ドーム」の保存に反対する人がいたこと、戦後の復興が進み、戦争や原爆の記憶が忘れ去られるのではないかと危惧していたこと、放射線障害により、生きたくても生きられなかった人がいたことなどは現地を訪れ、ブログに書くための事後学習で初めて知ったことでした。「戦争に勝ちも負けも存在しない」という我がブログの名言(?)はここから生まれました。



 コロナの影響で旅が中断していた時期もありましたが、やはり現地を訪れてみないと分からないことは沢山あります。東日本大震災の被災地も同様で、「非可住区域」の存在や被災地の人口減少、場所によって人々の防災意識が大きく異なることは現地を訪れて初めて知ることばかりでした。


 山陰パナソニックの「一人旅」研修のミッションのひとつに「毎日10人以上、地元の人に声を掛ける」というものがありますが、私の「被災地慰霊の旅」でも、地元の人や語り部さんからもっと積極的に話を聞いておけば良かったと改めて思いました。自分から震災の生々しい話を聞いていいのだろうか?という迷いはありますが、命を守るために何をしなければいけないかを考え、活かしていく責務がありますからね…。



 ここ最近は震災関連の重い記事が続いてしまい、申し訳ありませんでしたm(_ _)m しかし、被災地に限らず、現地で見たこと・聞いたことを「伝える」ことはこれからも続けていきたいと思います。