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 「みやぎ東日本大震災津波伝承館」を見学したあとは、「がんばろう!石巻」の看板が設置されている「市民活動拠点」へと足を運んだ。この看板も本当は去年(2022年)の旅行で見たかったのだが、時間の関係上見られなかったため、今回の旅行で絶対に見る!と考えていた。テレビや新聞、写真で見るのと、実際に見るのとでは違った「重み」がある。

 石巻だけに限らず、多くの被災地で「頑張ろう〇〇!」といったキャッチコピーを見かけるが、「頑張ろう」なんて言われなくても、みんな頑張っている。頑張っていない人・地域なんて存在しない。

 

 看板のすぐ近くには、東日本大震災の献花台が置かれていた。鐘を鳴らし、手を合わせた。

 

 南浜地区を襲った津波の実際の高さが示されている。津波の映像を見ても、最初は堤防を超えて波が染み出しているようなイメージしかわかないが、そこからはものすごい速さで水かさが増していったのだろう。

 

 「あいりちゃん」と名付けられたフランスギクの花壇があった。「あいりちゃん」とは、震災当時、石巻市の日和幼稚園に通っていた6歳の女の子「佐藤愛梨ちゃん」のことだ。高台に位置する日和幼稚園は津波の被害を免れたが、沿岸部へ向かった送迎バスが津波被害を受け、愛梨ちゃんは帰らぬ人となってしまった。愛梨ちゃんの他にも、4人の園児が津波の犠牲になっている。


 愛梨ちゃんのご遺体が見つかった現場に咲いていたフランスギクを全国各地で育て、震災伝承等の活動を行う「アイリンブループロジェクト」が行われている。看板には、愛梨ちゃんの妹さんである「佐藤珠莉(じゅり)」さんの自筆の説明書きが添えられていた。




 復興祈念公園内にある「南浜つなぐ館」にも行くことができた。南浜の復興祈念公園は本当に広く、去年の旅行ではこの「つなぐ館」は見つけられなかった。

 この建物では、震災前の南浜地区の写真が多数展示されていた。中でも忘れられないのが、満開の桜並木を通学する小学生を写した写真だ。震災前、こうして子ども達の生活の証があったと感じると同時に、「もうあの風景は戻ってこないんだな…」と思うと切なくなった。


 初代「がんばろう!石巻」の看板が最初に設置されていた場所も見ることができた。建物の基礎らしきものも残っている。その手前には「復興するぞ!」の文字が書かれていた。石巻市民の皆さんにとって、今の町の姿はどのように映っているのだろうか。被災直後、どんな気持ちだったのだろうか。


 15:50になり、石巻駅へ戻るためにタクシーを呼ぶ。16:55の仙石東北ラインに乗って帰る予定だ。タクシーに乗る前に、どうしても見ておきたいものがあった。先ほどの「あいりちゃんの花壇」の件でも触れたが、日和幼稚園に通っていた園児達の慰霊碑だ。園の管理下で子ども達が犠牲になったあの事件は、震災当時大学2年生で、保育を専攻していた私にとっても胸が痛むニュースだった。

 タクシーが来るまでの間に、日和幼稚園の園児の慰霊碑を探すが、公園内にはない。園内地図と照らし合わせると、「日和が丘口」のすぐそばにあることが判明。復興祈念公園を出て、道路の反対側に慰霊碑があるのを見つけた。



東日本大震災慰霊碑


春の足音が近づいていた頃

愛する我が子が

明日をも見れず突然旅立つ

暗闇さまよう私の心に

亮光降り注ぎ

再びあなたと私 結ばれる

太陽の下で一緒に見た

梨の花・桜の香り

懐かしく思い出される

あなたの笑顔にまた会いたい



 この慰霊碑の詩文には、津波で犠牲となった4人の園児の名前が散りばめられている。佐藤愛梨ちゃん、西城春音ちゃん、佐々木明日香ちゃん、佐藤亮太くん、4人全ての下の名前の漢字がこの詩で使われた。

 また、写真中央に見える石柱は1m10cmほどあり、5〜6歳の子どもの背丈をイメージしたものだという。


 日本語は世界的に見ても特に難しい言語だが、一番奥深い言語でもあると思う。その奥深さを作っているのが「漢字」だろう。ひらがな・カタカナは「表音文字」だが、漢字は、文字そのものが意味を持つ「表意文字」だ。

 前回のブログ記事でも書いたが、私は小さい頃から「絵」よりも「文字」のほうに興味があった。特に「漢字」に対する興味が非常に強く、クリスマスプレゼントに「漢字の本」が欲しいとお願いしたくらいである。その学年で習わない漢字も読めてしまい、クラスのみんなから「漢字博士」と呼ばれることもあった。(覚えた知識を活かせていたかどうかと言われると話は別ですが…)


 園児達のの名前を散りばめた詩を読んでいると、園児達の名前の由来、どのような人間に育って欲しいかも見えてくるような気がする。


 佐藤亮太くんの「亮」の字には、「明るい、明らか」「まこと(信)」の意味があるという。「亮」の字の上部は「京」を省略したものと言われており、高い丘の上に建てられた建物を意味する。周囲に光を遮るものがないため、「高くて明るい」という意味があると言われている。だから、「亮光」という言葉が使われたという解釈ができる。


 また、佐藤愛梨ちゃんの名前に使われていた「梨」の字は果物の「ナシ」を意味する。詩文では「梨の花」という形で使われているが、梨の花は白く、4月に花を咲かせる。

 梨の花はその白さから、雪に例えて「梨雪」(りせつ)と呼ばれることもある。純白で清らかな花は、何にも染まらず広く愛情を分け与える様子を想起し、「博愛」「愛情」といった花言葉の由来にもなった。


 梨の花と桜は、冬の厳しい寒さを乗り越え、春に花を咲かせる。明日に希望を持ち、人々に光を与えられる人になって欲しい。4人の園児の名前を散りばめた詩からは、そのような思いが読み取れた。



 慰霊碑のすぐそばには、「私たちの命を無駄にしないで」と書かれたメッセージボードが設置されていた。



 16時過ぎにタクシーが来た。旅の終わり、旅行記の終わりが近付いてくる。

 次回の記事で、旅行記本編完結です!