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 石巻市立大川小学校を見学したあとは、「石巻南浜津波復興祈念公園」へと足を運んだ。この公園の住所は「石巻市南浜町」で、かつては住宅や店舗が建ち並び、郵便局や保育所もあって、「人々の生活の営み」があった。また、石巻市立門脇小学校の学区のひとつでもあった。
 ところが、東日本大震災の津波と津波火災で500人以上の住民が犠牲となった。現在、南浜町は「非可住区域」(災害危険区域)に指定されており、住宅の建築が制限されている。震災後は復興祈念公園として整備が進められ、2021年3月に全面開園した。
 
 復興祈念公園は去年(2022年)2月にも訪れているが、帰りの仙石東北ラインの時間の関係で少ししか公園にいられなかったため、今回の旅では、慰霊碑や市民活動拠点(「がんばろう!石巻」の看板など)を中心にじっくり見ることにした。

 
 公園入口の周辺風景をパチリ。思えば旅行1日目も2日目も天気に恵まれた。青空が美しい。
 
 海沿いには工場が立ち並んでいる。煙突からはモクモクと煙がのぼっていた。
 
 石巻南浜復興祈念公園の園内地図・コンセプトなどは公式サイトからご覧下さいm(_ _)m

 

 
 まず初めに向かったのは「石巻市慰霊碑」だった。前回の旅行では見ることができなかったが、どうしても見たかった。
 
 石巻市の震災犠牲者数は2021年1月末の時点で3,878人(行方不明者・震災関連死による犠牲も含む)となっており、東日本大震災で被害を受けた市町村の中では最多となっている。
 犠牲者の芳名は地区・地域ごとに世帯を単位として、五十音順に表示されている。門脇地区、湊(みなと)地区、渡波(わたのは)地区、河北地域で亡くなられた方が多いことが分かる。「河北地域」とは「石巻市立大川小学校」があった地区だ。また、石巻市内で犠牲となった石巻市民以外の方の芳名も刻銘されている。
 
 およそ4,000人の芳名が刻まれた慰霊碑はとても大きく、私のスマートフォンのカメラには収まりきらなかった。これより大きい慰霊碑を見ることは今後あるのだろうか。
 慰霊碑を見ていると、NHKの「こころフォト」や、テレビや新聞で取り上げられたことがある方のお名前も刻まれていた。「河北地域」のところには、石巻市立大川小学校に通っていた児童や、そのご家族の方のお名前が刻まれている。改めて、この震災が「実際に起きたこと」である事実を突きつけられる。
 慰霊碑には花束が手向けられていた。私も慰霊碑に向かって手を合わせた。
 
 
 慰霊碑に向かって手を合わせたあとは、公園内を散策した。「一丁目の丘」から見た門脇小学校をパチリ。
 
 震災前の南浜地区の写真があった。何度も書いているが、沢山の家があった風景は全く想像できない。
 
 定期的に被災地訪問を続けているブロ友さんによると、震災直後の2012年に南浜地区を訪れたときは、建物の基礎や、損壊を免れた建物が残っていたという。上の写真と見比べても、当時の面影は全く残っていない。
 綺麗に整備することも大切なのかもしれないが、「震災前」の面影が失われてしまうのは何とも言えない気持ちになる。
 
 別アングルで撮影。
 
 「一丁目の丘」は標高があるため、海が見える。去年の旅行でも同アングルで撮影したのを思い出す。石巻だけに限らず、三陸の沿岸はどこも巨大な防潮堤が建設され、地上からは海が見えなくなってしまった。寂しいことだが、津波による悲劇を繰り返さないためにはそうするしかないのだろう。
 
 公園を散策したあと、昨年の旅行でも行った「みやぎ東日本大震災津波伝承館」へと足を運んだ。写真中央に見える、円形のガラス張りの建物である。
 津波伝承館の屋根だが、左から右にかけて高くなっているのにお気付きだろうか。右側の屋根の高さは「6.9m」で、南浜地区を襲った津波と同じ高さである。
 

 

 津波伝承館に入ると、エントランス近くで「企画展」をやっており、宮城県の小中学校・高校に通う児童生徒が描いた防災ポスターの入賞作品が展示されていた。私も小中学校の図工や美術の授業で色々なポスターを描いたが、絵心がない私は毎回苦労していた思い出がある。思えば、私は小さい頃から、「絵」よりも「文字」で伝えるほうが好きだった。

 

 「絵」で表されたポスターは大きなインパクトがあり、災害そのものの怖さや避難の重要性を訴えたものだけでなく、東日本大震災を伝承していくことの大切さを訴えたポスターも多かった。考えてみれば、今の高校3年生(2004年度生まれ)は、震災当時は小学校入学前(5~6歳)ということになる。震災を覚えているかどうかギリギリのラインだ。

 私がこれまでに勤めてきた放課後等デイサービスでも、中高生の生徒に東日本大震災の記憶があるか尋ねてみたところ、現在高校2年生(2005年度生まれ)の生徒だと、「震災当時保育園にいて覚えている」という生徒もいれば、「全く覚えていない」という生徒もいた。今の中学生は全員2007年度以降に生まれているし、小学生は全員2010年度以降の生まれだ。来年度(2023年度)からは、小学生は全員、震災以降に生まれていることになる。

 

 今の小中学生や高校生にとって、東日本大震災や防災教育はどのように映っているのだろうか。私は1990年生まれの32歳だが、直接の被害は受けていないし、首都圏の混乱も経験していない。1995年に起きた阪神淡路大震災に関しては、当時4歳だったために全く記憶がない。「被害に遭われた方に心を寄せたい」という思いから被災地慰霊の旅をしているが、それでもピンと来ないところはある。

 

 企画展以外の常設展示に関しては昨年の旅行で見学したため、今回の記事では割愛させて頂く。その後は市民活動拠点などを見学した。

 

 それでは次回に続きます!