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 室内展示を見学し終えたあとは、順路に沿って体育館へと戻った。体育館には「応急仮設住宅」を再現したものが展示されている。津波と津波火災による痕跡だけでなく、「被災後」の展示があるのも大きな特徴だと言える。

 石巻市の避難所に関する展示があった。石巻市内ではピーク時には259箇所の避難所が開設され、およそ5万人が避難生活を送っていたと言われている。石巻市内の全ての避難所が閉鎖されたのは、震災から7ヶ月後の2011年10月であった。
 避難所生活は常に人目に晒され、プライバシーがない。また、体育館等に雑魚寝することなどを考えると、衛生状態も決して「良い」とは言えない。避難所生活で健康を害してしまった人も多かったのだろうなぁ…。

 東日本大震災の経験を活かし、避難者の健康を守る様々な取り組みが紹介されていた。「エコノミークラス症候群」という言葉は熊本地震のときに話題になった。女性や子どもへの配慮も忘れてはならないもので、性犯罪などを防ぐ上でも欠かせない。

 学校の体育館以外にも、公共の施設や宗教施設などが「避難所」として使われたことも説明されていた。


 避難所生活についての説明を見たあと、応急仮設住宅を見学した。単身用と家族用の仮設住宅が再現されていたと記憶している。しかし、あくまでも「応急」的に建てられた「仮設」住宅だ。当然、長く住むことは想定されていないし、入居後に不備や不満が続出したこともあったという。

 今回、私は「家族用」の仮設住宅を見学した。おそらく2DKで、2〜3人用のものと思われる。靴を脱いで、実際に中に入ることができる。

 居間に冷蔵庫、洗濯機といった大型家電が置かれている。洗濯機と冷蔵庫の間を通り抜けて奥に見える和室に行ってみたのだが、想像以上に狭かった。

 壁にはアンパンマンやポケモンなどのキャラクターが描かれたポスターが貼られていた。おそらく未就学〜小学校低学年くらいの子どもも一緒に暮らしていたのだろう。応急的に建てられたため狭く、壁も薄いので生活音が響いてしまう。しかし、子どもといえば遊びたい年頃だ。思うように遊べない生活も辛いが、周囲に気を遣わなければならない親御さんのストレスも大きかっただろう…。

 最後に、門脇小学校の体育館に飾られていた絵画を見た。門脇小学校の体育館は直接の被害を免れたため、当時のまま残されている。鼓笛隊、運動会の組体操、遠足、どれも震災前に行われていた学校行事をモデルにしたものと思われる。

 この絵画は地域のお年寄りとの交流を描いたものだろうか。大川小学校と同様、門脇小学校も地域との繋がりが強い学校だった。人との交流があったということは、この地に生活があったということでもある。

 最後は「明日(未来)へ」というタイトルの展示で締めくくられていた。


明日(未来)へ

空が世界をひとつにつなぐように
人と人とのつながりは国境を越え無限に広がることを知りました
たくさんの人が東北を訪れ 石巻に思いを寄せ続けてくれています
日本のそして世界中の人へ感謝の気持ちを伝えさせてください
寄り添い ともに涙し ともに笑いあい ともに生きてくれて ありがとう
どうか ここが みなさんの明日へとつながる
きっかけとなりますように


 「明日」とは何だろう?「未来」とは何だろう?
 思えば、大川小学校の校歌のタイトルは「未来を拓く」だった。文字通り、「未来を拓く」子どもを育てたいという思いを込めたものだ。

 「明日」(未来)とは、「そうぞう」するものだと考える。

 大川小学校には「自然がつくりだしたこの世界で 未来をそうぞうし 生きることができるのが人間です」というメッセージが飾られていた。
 私達人間は自然の中で「生かしてもらっている」存在だ。自分でも上手く言えないが、先人の知恵を活かし、自然とどのように生きていくかを「そうぞう」していかなければならない。そして、どんなに文明が発達した今でも、人間は自然のチカラには太刀打ちできない。だからこそ、「逃げる」ことも時には必要なのだ。


 11:40頃に門脇小学校を訪れ、見学し終えたときは14:00を過ぎていた。訪れた際には、長い時間をとって見学されることをお勧めします。

 その後、図書コーナーで震災関連の書籍などに目を通したあと、近くにある「石巻南浜津波復興祈念公園」へと足を運んだ。

 それでは次回に続きます!