※被災物の写真があります。閲覧の際はご注意下さい。

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 「被災者の言葉」を見たあとは特別教室棟へ行き、「門脇小学校の思い出」が展示されている教室に入った。震災前学校の沿革や震災前の学校生活の写真などが展示されていた。かつて自分が通っていた小学校と重ね合わせて見ていた。

 私が通っていた小学校は1980年代に創立された小学校で、私が在学中に「創立20周年」を迎えた「新しい」小学校だった。それに対し、門脇小学校は1873年創立で、2010年の時点で創立137年を迎えていたことになる。長きに渡り地域の教育・子育てに貢献してきたことが分かる。
 門脇・南浜地区での子ども達による鼓笛隊の写真や、虫歯予防のポスター、当時通っていた子ども達の作品や絵などが展示されていた。子ども達が門脇小学校で学んでいた「証」がそこにあった。

 門脇小学校の校歌も展示されていた。

太平洋は広々と
のぞみを今日も思わせる
楽しく若いこの夢よ
ひかれひかれ美しく

北上川は生きていて
命を深く思わせる
明るく高いこの歌よ
ひびけひびけどこまでも

さあ手をとって
手をとって進もうよ
小学校は門脇


 読んでいて、自然豊かな学校だったことが伝わってくる素晴らしい歌詞だ。七五調でリズムも良く、限られた文字数で石巻の美しい自然を見事に表現できている。
 日本では、古来から和歌や俳句という形で、「決められた文字数」で心情や情景を表現してきた。学生時代はテストのために「必要に迫られて」覚えていたものだが、大人になった今、様々な技法を駆使し、限られた文字数で心情等を表現できるというのは本当にスゴいと思う。実際、百人一首は「31文字で書いたラブレター」だったと言われている。

 思えば、私が学生の頃なんて「校歌」の重みを考えたことがなかった。「歌詞」に思いを馳せたこともなかった気がする。小学校の校歌は6年間歌ったこともあり、まだ覚えているが、中学校と高校、大学の校歌は忘れてしまった。卒業してからの「時間の経過」が大きな理由だが、中学以降は学校で校歌を歌う機会が少なくなること、「歌うこと」そのものが恥ずかしくなってしまうということもある。

 門脇小学校の校歌の歌詞で私が一番好きなのは「北上川は生きていて 命を深く思わせる」というフレーズだ。「自然が生きている」という概念を校歌に盛り込んでいる。子ども達が成長して石巻を離れても、自然の恵みに感謝し、人間だけでなく、自然とも共生できる人間になって欲しいという願いを込めたのだろう。「大人になった」当時の子ども達にも語り掛けている歌詞なのだと感じる。


 「門脇小学校の思い出」を見学したあとは、順路に沿って被災物などを見学した。時系列に沿って被害状況が詳細に説明されていた。

 こちらは小学校にあった柱時計。昇降口付近にあったそうだ。時計の針などは残っていない。

 手前には被災していないきれいな机と椅子が、奥には津波火災で焼けてしまい、外枠しか残らなかった机と椅子が展示されている。同じものとは全く思えない。手前の机と椅子は実際に座れるとのことで、座ってみたが、身長152cmの私には小さかった。大きさからして、おそらく小学校低学年の児童が使っていたのだろう。

 津波火災で焼け落ちてしまった天井(黒板?)もあった。「火」の威力の大きさを感じる。

 津波火災で焼けてしまった「オルガン」だ。説明書きがなければ「木琴」かと思ってしまうくらい、跡形も残っていない。鍵盤まで焼き尽くしてしまうとは…。

 火災の被害を受けたものの、現物が残った黒板と下駄箱も展示されていた。「物」が残っただけでも奇跡である。



 その後は石巻市の人的被害や、体育館に再現されている応急仮設住宅を見学した。
 それでは次回に続きます!