2019年は「平成」から「令和」への改元と、天皇陛下の生前退位があった年でした。

改元を「祝賀ムード」の中で迎えられる機会を与えて下さった上皇陛下には感謝しかありません。ネットでは、「改元を祝賀ムードの中で迎えられる機会を作ってくださったのは、平成の天皇陛下最大の好プレーだと思う」という意見がありましたが、本当のことだと思います。

 

2019年5月に書いた記事と内容が被りますが、「昭和」から「平成」への改元のときは、過剰なほどの「自粛ムード」の中で迎えられました。私は1990年生まれなので当時のことは分からないのですが、1988年に昭和天皇の容態悪化が報道されてから「自粛ムード」が始まり、各地で祭りや祝賀行事などが中止されるという異例の事態になりました。

公的な行事だけでなく、結婚披露宴など個人のお祝い事も控えられるようになり、クリスマスやお正月も重々しい雰囲気の中で迎えた人も多かったのではないでしょうか。「寿」や「賀正」、「おめでとう」を使わない年賀状があったという話も聞きます。

 

現在の上皇陛下が生前退位を決断された理由はいくつもありますが、そのひとつに、天皇崩御による過度な「自粛ムード」への懸念があります。

 

実際に、2016年に生前退位のお気持ちを表明されたビデオメッセージで、その内容を話されていました。

(以下、宮内庁公式ホームページからの引用です)

「天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。

更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては,重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります」

 

改めて、上皇陛下は、いずれ迎えることになる「人生の最後の瞬間」のときまで、国民のことを第一に考えて下さっていたんだな…と思いました。

天皇陛下とはいえど、一人の人間ですし、自分の死で国民全員が喪に服し、個人の楽しみまでをも自粛するのは望んでいないでしょう。国民に負担を掛けず、静かに人生の幕を閉じたい。上皇陛下の「生前退位」は国民のことを第一に考えた「終活」のひとつなのかなぁ…と思います。

 

私情になりますが、10年前(2009年12月)に母が急逝したときのことを思い出しました。

当時大学1年生だった私はお正月に実家に帰ったのですが、「おめでとう」と言えない、実家の重苦しい雰囲気が嫌でした。母親が亡くなったことよりも、重苦しい実家や親族の雰囲気のほうが辛かったです。大切な人が亡くなって「めでたい」という気持ちになれないのは当然といえば当然なのですが…。

 

そうそう、喪中ということで年賀状が1枚も来なかったのも嫌でしたね。新年を祝うめでたい気持ちにはなれないけれど、自分はあくまでも「普通」の生活を送りたかった。「普通」に新年を祝い、年賀状を交換し、初詣も行きたかった。だけどそれが許されていないように感じた。

東日本大震災のときの自粛ムードもまさにそんな感じでしたね。

 

人によって「普通」の基準は異なりますし、私は「普通」という言葉はあまり使いたくないのですが、「個人の楽しみまでをも過度に自粛しなければいけない」という思いは子孫にはさせたくないのです。

ん、待てよ?私はまだ29歳だけど、これってひょっとして、自分なりの「人生の最後」を考えているのか?

 

最後は関係ない話になってしまいましたが、私が考えた「上皇陛下の生前退位」の意義です。

今の上皇陛下が「お気持ち」を表明されるまでは、「即位したら、崩御するまで生涯、天皇陛下であり続ける」という考えでしたが、これからは変わっていくのでしょうね。

 

2019年もありがとうございました。

来年も読者の皆様にとって、良い年になることを心から祈っています。

 

 

 

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