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遅くなりましたが、この記事をもちまして「あしながおじさん」の書評は完結です。
 
ジュディは大学を卒業し、卒業後はロック・ウィロー農場で暮らしながら、作家としての生活を始めます。
卒業後、ジュディはある「悩み」を「あしながおじさん」に打ち明けます。それは、級友・ジュリアの伯父さんであるジャービス・ペンドルトンさんからプロポーズを受けたけど、自分が孤児院出身だということを打ち明けられず、断ってしまったということでした。
 
いくら好きな人であっても、当時のアメリカでは、「孤児院」という名前を聞いただけで偏見や好奇の目にさらされることが目に見えていたからでしょう。ジュディは「おじさん」への手紙に、「私みたいなどこの誰だか分からない人間が彼と結婚して、あのような名家に入ることも正しいと思えませんでした。私は彼に孤児院の話をしていません。自分がどこの誰なのか分からないなんて、どうしても言いたくなかったのです」と書き綴っています。
 
日本とアメリカでは文化も風習も違うのでしょうが、当時のアメリカでも、「結婚=相手の家に入ること」という考えが強かったのではないでしょうか。しかも、ペンドルトン家は大変なお金持ちです。結婚相手の家柄も重視するでしょう。
「自分は孤児院出身」と言ったら、ジャービスさんだけでなく、ジャービスさんの家族からも冷遇されるに違いない、とジュディは思っていたのかもしれません。
 
この悩みを「おじさん」への手紙に書いて送ったあと、「おじさん」から返事が来ました。その内容は、「実際に会って話を聞く」というものでした。
ジュディは約束の日時に、ニューヨークの指定された場所へ、「あしながおじさん」に会いに行くことになります。果たしてどうなるのか…。結末は実際に読んで確かめてみて下さい!
 
 
ジュディの立場から読む「あしながおじさん」も面白いですが、支援者である「あしながおじさん」の立場から読むのもまた、面白いと思います。
 
評議員さん(あしながおじさん)がジュディを大学に行かせようと思ったのは、ジュディが孤児院にいたときに書いた「憂鬱な水曜日」(Blue Wednesday)という作文がきっかけでした。「あしながおじさん」の冒頭部分の章題となっています。
 
ジョン・グリア孤児院での日常を皮肉たっぷりに書いたジュディの作文が評議員さんに認められたのです。「あしながおじさん」の立場からすると、「(ジュディに)これだけの才能があるなら、社会に出して、その才能を活かしていけるようにしなければいけない。そのためには教育が必要だ!」と思ったのでしょう。また、「孤児なら、必要最低限の支援や教育だけでいい」という孤児院の養育方針に疑問を抱いたということも考えられます。
 
「あしながおじさん」はジュディに対して大学の学費と寮費を援助しましたが、お金に対するお返しは望みませんでした。その代わり、ジュディに対して月に一度、大学生活のことを手紙に書いて送って欲しいと要求してきたのです。
 
「おじさん」がお金に対するお返しを望まなかったのは、ジュディが「大学で学ぶこと」を重視していたからではないでしょうか。お金では買えない知識や教養を身に付けて、社会に還元して欲しいという思いがあったのかもしれません。
しかし、せっかく「お金では買えない知識や教養」を身に付けたとしても、自分の中に留めておくだけでは意味をなさないものです。手紙に書いて送って欲しいというのは「アウトプット」という目的があったのだと思われます。
また、文章にして書くことで、自分の考えを整理したり、論理的な思考を身に付けたりする目的もあったのではないでしょうか。
 
 
そして、冒頭部分を除いて、ジュディから「おじさん」への手紙で構成する「書簡体小説」にした理由も見えてくるような気がします。
「手紙」の形式にすることで、ジュディの大学生活に臨場感を持たせるといった役割があったのかもしれません。
また、この小説ではジュディから「おじさん」への手紙だけで、「おじさん」からの返信はありません。だけどこれにも理由があるのではないかと考えます。
「自分が『おじさん』だったらどんな返事を書くだろう?」と、読者に想像の余地を持たせるためではないでしょうか。想像に正解はありません。読者の想像力を育てることが、物事を考えるチカラに繋がっていくのかな~と思います。
 
 
長々と書いてしまいましたが、以上で「あしながおじさん」の書評は終わりです。
小説の書評、久々に書いたな~。自分の考えを文章にして伝えるのが、書くことの楽しみなのかもしれません(笑)