それでは2日目、8/22(土)の日記を書き記していきます。



2日目の観光のメインは呉だが、その前にもう一度平和記念公園に行っておきたかった。
ホテルから並木通りを南方向へ歩き、平和大通りを通って記念公園へ。
そして「原爆ドーム前」電停から広電に乗って広島駅へ戻り、そして呉線で呉へ行く、というルートをとった。


起きたのは7時前だっただろうか?洗面、着替えを済ませて、ホテル3階のレストランへ。トーストと卵サラダ、フルーツ、紅茶の4点セットが出された。(写真なくてごめんなさい…)ふわふわの焼きたてトーストが美味しい。

部屋に戻ってからは歯磨きと荷物整理、そして朝のニュースチェック。
それから、昨日レストハウスで買った10枚入りの折り紙がまだ残っていたので、鶴を折った。「原爆の子の像」のところに捧げるためだ。
1日目の昨日(8/21)捧げたのは2羽。2日目の今日(8/22)は8羽捧げる予定だ。

荷物をまとめて、8:40にホテルを出発。鶴がぐちゃぐちゃにならないよう、折り畳んで運ぶ。

朝の並木通り。
ホテルを出たときは曇っていた。




並木通りを南へ歩き、平和大通りへ。






最初は曇っていた空も、段々晴れて明るくなっていく。
すっきりと澄んだ青空だ。


そして平和大橋を渡り、再び元安川へ。



青空を綺麗に映し出している。穏やかな気分になれた。

公園内に鳩が群がっている。可愛らしくて思わず写真を撮ってしまった。
こんな風景の写真が撮れるのも平和な世の中だからこそ。


下の写真は「消えずの火」。
火が大変見えにくい写真となってしまったが…。
「核兵器がなくなるその日まで、この炎を灯し続けよう」との願いが込められているらしい。


1日目の散策では気付かなかったのだが、石でできた郵便ポストがあった。
資料館の近くにあったような気がするんだけど…。
「郵便は世界を結ぶ」という文が刻まれている。世界中の人の思いを届ける、そして人と人とが繋がっていく。そんな思いが込められているのかな。


そして再び「原爆の子の像」の元へ。
畳んで持ってきた折り鶴を1羽ずつ、羽を広げる。
羽を広げた鶴を台に置いて、手を合わせる。
禎子さん、今日も来ましたよ…。

1日目で2羽、2日目で8羽。それぞれ柄の違う、色とりどりの10羽の折り鶴。
どうか平和への願いを届けて下さい。
世界中に平和を。そう願わずにはいられなかった。

そういえば以前書いた橋本七夕祭りの記事でも、「夜空にきらめく七夕飾りを見ていて、世界平和への願いを思わずにいられなかった」と書いたことがある。
橋本駅の駅ビル「ミウィ橋本」の5階には空に向かって羽ばたく鳥のイルミネーションもあった。幻想的でとても美しかった。
戦後70年という節目の年であること、また、橋本七夕祭りの最終日が8/9、長崎に原爆が投下された日であったこと。それらのことが私の平和への思いを強くさせたように思う。

だけど、この広島の「原爆の子の像」の前で感じる「平和への思い」は、橋本の七夕のときとはまた違う感じがある。

この平和記念公園全体に、原爆で亡くなられた人々の魂が眠っているからだ。
…いや、亡くなられた人々の魂だけじゃない。生き残った人々の「平和への願い」も存在する。「あんな過ちを二度と繰り返してはならない」という強い願いだ。
自分は助かっても、家族や友人を亡くされた方もいらっしゃる。「あの時」は助かっても、原爆の後障害で亡くなられた方もいらっしゃる。戦争が終わっても癒えない傷がある。それが心の傷と身体の傷だ。
そう考えると、戦争を経験した人たちの心の中では、今でも「戦争」が続いているのかもしれないな…。

最後にもう一度、原爆ドームを見た。
そして、ドームの前で手を合わせた。

どうか、戦争や原爆の被害を人々の記憶から風化させないで下さい。
これからの未来を作る若者に、戦争という過ちを繰り返してはいけないということを、いつまでも伝え続ける遺産であって下さい。

沢山のことを、学ばせてもらいました。ありがとう…。
さようなら、原爆ドーム。また来ます。

原爆ドーム前電停から広電に乗り、広島駅へと向かった。




再び戻ってきた広島駅。
路面電車乗り場にはバリアフリー仕様の超低床車が停まっていた。

さあ、呉へ出発です。