「広島旅行記1日目(3)」の続きです。


平和記念公園内をまたしばらく歩いていく。
「原爆死没者慰霊碑」があった。

1952年8月6日に建立。
墓碑には
「安らかに眠ってください。
過ちは繰り返しませぬから」
と刻まれている。
やっぱり、実際に見ると重みが違う。

屋根が付いているのは、原爆で犠牲になった方々の御霊が雨露に濡れないように…との願いが込められている。
そして、この慰霊碑からは原爆ドームが見通せるようになっている。

これ以上、悲惨な過ちが繰り返されませんように…と私も手を合わせた。
平和記念公園全体に、原爆で亡くなられた方々の魂が眠っているように感じた。

「祈りの泉」と呼ばれる噴水。

どこまでも高く吹き上げる水。
空高く、天高く吹き上げる。

公園内の慰霊碑やモニュメントを一通り見たあと「平和記念資料館」へと向かう。




ミュージアムショップを見たあと、入館料50円を払って中に入る。

最初に目に飛び込んできたのは、きのこ雲の写真だった。
そして、壁に書かれていた「水を下さい」の文字。水を求めて川に飛び込む人で一杯になった元安川が思い浮かぶ。やっぱり、信じられない。
あんなに平和な世の中、穏やかに流れる元安川、どれをとっても想像できない。
当時はそれだけ過酷、正に「地獄絵図」だったんだろうな…。

そして、被爆当時の広島の様子。上空からおよそ600メートルのところで原爆が炸裂したため、爆心地から2km以内のところは壊滅状態だったという。模型で当時の様子が再現されていたが、何もない。その一言に尽きる。
私たちが想像する「爆弾」(いわゆる火力によるもの?)とは全然違う。
何かがピカッと光ったと思ったら、激しい閃光に目がくらむ。気が付けば、周囲にあった家や店がなくなっている。一瞬にして街を壊滅状態に追いやったのが原爆だ。

それから熱線、爆風、放射能による被害。70年前、被害を受けた「実物」がそのまま展示されている。触って感触を確かめられる資料もあった。

原爆が投下されたとき、爆心地付近の地表の温度は3,000℃~6,000℃にも達した。そのため屋根瓦は表面が溶けてしまった。実際に展示されていた屋根瓦を触ると、ザラザラしていた。
また、多くの洋服は茶色く焦げており、熱線で溶けてしまったのか、一部分がなくなってしまっているものも多かった。
他には黒焦げになってしまった弁当箱や三輪車も展示されていた。弁当箱の中にお米が入っており、熱線の影響で黒焦げになってしまったと考えられる。まだ、このお弁当は食べる前のものだったらしい。子どものために愛情を込めて用意したお母さんの気持ちを考えると…いたたまれない。

また、三輪車は当時3歳11ヶ月だった男の子のものだ。男の子は自宅前で三輪車に乗って遊んでいるときに被爆し、亡くなった。男の子の父親は、息子を埋葬するとき、三輪車も一緒に入れたという。息子があっちの世界でも寂しくないように…との思いからだった。

被爆された方々の遺品は、本当に色々なことを考えさせられた。
本来なら自分の手元に置いておきたいであろう遺品を、未来を担う若者たちのために提供して下さった。これからの未来を作る人に、戦争という過ちを繰り返してほしくないから。
その思いを受け継いでいくのが「戦争を知らない」私たちの使命なのかもしれない。


次の記事に続きます。