第11話 博物館による「震災伝承」の使命 ~震災14年 三陸沿岸地域の今~
前後の記事はコチラから。震災14年 三陸沿岸地域の今|「あずさ」に乗ってどこまでも☆梓 エミリーさんのブログテーマ、「震災14年 三陸沿岸地域の今」の記事一覧ページです。ameblo.jp 三陸沿岸地域に生息する様々な動植物、貝類の剥製や標本を見たあとは、陸前高田市立博物館のシンボルとなっているツチクジラの剥製「つっちぃ」を見に行った。「つっちぃ」は陸前高田の高校生が付けた愛称である。 かつては国立科学博物館に展示されていたが、1994年から、かつて陸前高田市に所在した「海と貝のミュージアム」に飾られた。ところが2011年の東日本大震災により、海と貝のミュージアムは全壊。「つっちぃ」の流失は免れたが、表面を覆う繊維強化プラスチックのコーティングが剥がれ、標本内部には約100リットルの海水が流れ込むという甚大な被害を受けた。国立科学博物館に運ばれて修復され、2020年に陸前高田に帰ってきたという。赤い丸で囲ってあるのは津波により損傷した箇所だと言われている。 「つっちぃ」は日本最大のクジラの剥製として日本記録認定協会より認定を受けた経緯がある。体長は9.7m、重さは525kgにも及ぶ。またしてもポケモンでの例えになるが、体長で見ると「ハガネール」(9.2m)、重さで見ると「メタグロス」(550.0kg)に相当するということになる。私が知っているポケモンの世代は「ルビー・サファイア」までであるため、当該の世代までのポケモンで検証したが、それにしても比べ物にならない大きさである。 「つっちぃ」の修復についての展示もあった。その経緯については冒頭にて記したため割愛させて頂くが、様々な困難を経て現在に至っている。いつまでも「陸前高田市立博物館のシンボル」であって欲しい。 ここまでは三陸沿岸地域の貴重な生態系を見てきたが、「震災を伝える」ことも博物館の忘れてはならない使命である。この写真はかつての「廣田村」(現在の陸前高田市広田町)にあった石碑であるが、「それ津浪機敏に高所へ」「低いところに住家を建てるな」という文言が刻まれている。 四角柱となっている石碑にはこの他にも「地震があったら津浪の用心」「津浪を聞いたら欲捨て逃げろ」という文言も刻まれている。 私のブロ友さんで東日本大震災が起きた2011年から被災地慰霊の旅を続けている方がいらっしゃるのだが、昨年(2024年)夏に三陸を訪れたときに、被災地に点在する津波被害伝承の石碑を調べていて、その様子をブログに記していた。 宮城県に所在する石碑は「地震があったら津浪の用心」と刻まれているものが多かったそうだが、岩手県内の石碑には先述の「低いところに住家を建てるな」「それ津浪機敏に高所へ」など、取るべき具体的な行動が刻まれているものが多かったことに気付いたという。さらに、岩手県内の石碑でも、大船渡や釜石に所在する石碑には、明治三陸地震津波や昭和三陸地震津波の被害状況が詳細に記されていたそうだ。震災伝承のために石碑が建てられたのは共通しているが、同じ三陸沿岸地域でも、地域により石碑に刻まれている文言が異なるのは興味深い。どのような思いがあって、その表現を選んだのかが気になる。 博物館には、東日本大震災以前に受けた地震・津波被害の様子が展示されていた。下の写真は明治三陸地震についての展示だが、教訓として「(揺れが)弱くても、長い揺れでは津波が来ることがある」と紹介されている。当時の震度は2〜3くらいだったが、現在の大船渡市綾里では38mもの津波が観測された。死者はおよそ22,000人にものぼり、岩手県での死者がおよそ18,000人にも及んだという。 昭和三陸地震津波では、岩手県などで震度5を観測した。地震発生の30〜50分後に津波が到達し、岩手県大船渡市で28.7mにも達したという。死者・行方不明者はおよそ3,000人で、明治三陸地震をきっかけに高台移転していた集落があったこと、住民がすぐに避難行動を開始したこともあり、明治三陸地震津波より被害は少なかった。 1960年に起きたチリ地震津波は、「親(地震)なき津波」とも言われている。チリで発生した地震による津波が丸1日かけて太平洋を横断し、日本に到達したというものだ。陸前高田でもこの津波で8人が死亡・行方不明となっている。阿部長商店の創業者である阿部泰兒さんはこのチリ地震津波を経験しており、建物と宿泊客、スタッフの命を守るため、阿部長商店が経営する3つのホテルは全て高台に建設されている。 被災した陸前高田市民会館の時計も展示されていた。3時30分で止まっており、それが津波到達時刻と考えられる。 陸前高田市立博物館のことだけでも3編、ブログ記事を書くほど内容の濃い、幅広い展示であった。それにも関わらず、入館料は「無料」である。もちろん今回の旅行記では紹介しきれなかったものもある。 最後に紹介するのは「ふるさとのたからは失われていない」という説明書きだ。博物館に関する一連の記事を書くにあたり、多くの公式サイトやニュースサイトなどを参考にしたが、その中でも「津波が陸前高田の歴史を流すことはできなかった」という文言が強く印象に残った。 博物館を出て陸前高田駅へ行き、14:57発の大船渡線BRTに乗って、旅行2日目の宿泊地である大船渡温泉へ向かった。 それでは次回に続きます!