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当たり前の日常が、こんなにも尊かった
1年前の自分のブログを、久しぶりに読み返した。
あの頃は必死だった。
先のことなんて考えられなかった。
まさか自分が、こんなふうに生活を考え直すことになるなんて、
その時は想像もしていなかった。
誤解のないように書いておくと、
いわゆる「障害」と呼ばれる状態そのものは、
それ以前に、ある程度受け入れていた。
でもこの頃は、
反対の手まで手術が決まり、
正直、どん底だった。
「これ以上、何を失うんだろう」
そんな気持ちで、前を見る余裕はなかった。
手首が使えなくなって、初めて気づいたことがある。
擦り傷ひとつでも、
人はその痛みに意識を持っていかれる。
ほんの小さな不調でも、
それが生活に食い込んだ瞬間、
無意識でできていたことが、
すべて「意識しないとできないこと」に変わる。
だから、状態の大小ではない。
どれだけ生活に影響するか。
それが、本人にとってのしんどさなんだと思う。
手首の動きが、
思っていた以上に日常のすべてに関わっていたことを、
失ってから知った。
最近、強く思う。
当たり前の日常って、奇跡なんだな、と。
特別な幸せじゃなくていい。
何も起きない一日が、
一番ありがたい。
朝起きて、
ごはんを食べて、
一日を無事に終えられること。
それだけで、十分すぎる。
今は、そう思える場所にいる。
そしてもうひとつ。
主治医との関係性は、本当に大切だと感じている。
私にとっていい結果でも、そうでなくても。
受け身ではなく、
一緒に前に進む治療ができていること。
それもまた、
当たり前じゃない日常のひとつなんだと思っている。

#日常 #当たり前の幸せ #気づき #1年前を振り返って #治療と向き合う #主治医との関係
今回、上腕骨内側上顆炎(ゴルフ肘)で手術を受けることになって、
「そもそも、なんでここまで悪くなったんだろう」と
自分なりに振り返ってみました。
私の場合、
手首に障害があり、
本来手首が担うはずの動きを
肩や肘で代償する生活が長く続いていました。
物を持つ、支える、ひねる。
無意識のうちに
肩と肘を使って動かすことが当たり前になっていて、
気づいたときには、
その負担が肘に集中していたのだと思います。
特別なスポーツをしていたわけでも、
急に無理をしたわけでもなく、
「日常の積み重ね」。
だからこそ、
最初は「そのうち良くなるだろう」と思っていました。
でも、体は正直で、
限界を超えた部分に
ちゃんとサインを出していたんだなと、
今はそう感じています。
今回の手術は、
痛みを取るためだけでなく、
これから先の体の使い方を見直す
ひとつのきっかけになるのかもしれません。
