人工呼吸器[命の値段は百万円] | ほっと一息していきませんか?

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その時代人工呼吸器を買うには百万円要ると言うことを聞いた

直接聞いたわけじゃない

親と大人が話していたことを隣の部屋で耳にした

高校生の時に将来の進路を決める年だった

ALSで闘病中の父親が筋肉が萎縮し筋肉が衰えてきたため畑仕事も叶わず生業の農業も辞めていた。

父さんが倒産した

ギャグをかましている場合ではないけれど

そんなにどん底には思えていないどこか底抜けに明るい私だ

親がいる事でなんだが悲壮感はないもののお金はないんだと気づいた

進学どころではない仕事をしなくてはと思う

高校生の私には百万円はどうにもならないお金だった

近所の病院には人工呼吸器はあるものの使用している場合は借りられず常時人工呼吸器が長期的に必要な父は購入することにもなると言うのだ

命の値段は百万円だった

父に生きていてほしいと思う私には必要なお金だった

父親は気管切開を望んではいなかった

しかし生きていてほしい

たとえ寝たきりになっても言葉は交わせなくても

生きていてほしい

父親の存在とはそういうものだ

いて欲しい

いるだけでいい

私は大人と相談し、ほぼ大人が決めたが私も決断した

お金をくれて看護婦の勉強ができる学校に入学することに決めた

その時絵筆を折った

心で絵筆を折り好きなことを一時止めて父親の闘病を支える決意をした

就職することにした

とはいえ勉強するのが進学先は仕事だったのでとても恵まれた環境にいた

しかし絵筆を折る決意をしたが友達や先輩が描いてと言うので絵を描き過ごしていた

高校の教師が私と同じ年の子供が要るからか大学へ行くようにかなりしつこく言っていたことを覚えている

その教師が言うお金を出すから大学へ行くんだと教室の中で授業中にみんなの前で言うのだ

私はどうしたらいいのか困っていた

その当時は難病で余命幾ばくも無いと言うALSは本人に告知されることは無く父親には病名は秘密だった

私にも知らされてはおらずわからなかったが病気であることは疑いようもなかった

経済的に2人同時に大学へやるには経済的に困難なことは闘病前から知っていたので大学進学はあまりこだわっていなかった

父親が健康な時も大学進学へするのに奨学金を借りるには高校から奨学金を借りたほうが有利になると言うことなので既に高校から奨学金を借りていたのだ

学力は地方の国立大学の合格をするくらいなのだ

気が向けば勉強し上位の成績を収めたがそんなに勉強に気が向かずに進学校なのに運動部と美術部に入り学生時代を楽しんでいたた私だった

あまり勉強に励んではいない

大学進学を諦めるのに然程の時は必要なかった

それより父に1日でも長くいてほしかったことを記録する

父親に孫の顔を見せてやりたかったのだ

働く術を持たないあの当時の私には命の値段は重く感じた

百万円だった

どうやって用意したら良いか分からなかった

暗い暗黒時代の幕開けにも思えた


しかし進学してみると初任給が支払われ

教官が親代わりになりお給料はみんな使ってしまわずに貯金をするのよと指導をした

1月3万円共済の定期積立をすると利率がいいのでそれをみんな利用するようにと言うので素直に従った

しかも就職して直後に有名銀行の人が営業に来てカードを作る講座を受けた

ほとんどの同級生がカードを持ちローンが組める様になった

審査は必要なかった

つまり棚ぼた

私はその学校に存在するだけで三年間で百万円貯まることになった

しかも緊急ならローンも組めたのだった

あれだけ深刻に考えていた命の値段だったが3年も経てば人工呼吸器が買えると気が楽になった

その頃働いていたのは私だけだった

兄は大学へ行っていたし

母親は祖父と父の介護に時間を割かれ仕事に勤めても介護で呼び家に帰される為に仕事に就けない日が続いていた

難病指定されるとその当時は治療費が要らなくなり

手当がつくので一定のお金を受給できたと聞いている

生命保険に入っていたので難病指定されると受給されるお金もあったらしい

闘病費と言うことだ

詳しいことは調べればわかるがその時の認識を曖昧だが聞き伝に書くことにする

1月10万円の手当で父母小学生の妹が暮らしていた

教官から家族を扶養することを勧められた何度もだ

しかし母親が受け入れなかったのでそのままにしておいた

仕送りもいらないと言うので貯めておいた

人工呼吸器を買えばいいやと

何だかんだで暮らしていた人は窮地に陥るが救済制度があるのでなんとか助かることになる

人がみんな色んな知恵を出し合い助けてくれたことを記憶する

進学する際にも教師の方がチームを組んでくれて課外授業をしてくれた

特別授業を受けてその学校の受験に備えたことを今も有り難く覚えている

私の他にも七名が受験し特別授業を受けた

余計な一言だが書かずにはいられない

その高校に赴任する間は独身者は結婚はできないというのが巷の噂だった

課外テストに課外授業ときつい宿題を出す反面教師の仕事は増える一方なのだからプライベートはほとんど無い

お塾の殆どない田舎での進学校だ教師の負担はどれほどだったろうと思うと有り難さを越える

何だかんだで人に恵まれ暗黒時代を過ごすことなく

上京しパリピになった?!

お給料をもらって都会でアフターファイブにはブイブイ

お金も貯まる素敵な時代にも見えた

心の中の余命幾ばくもない父親がいなければの話だ

遠く上京し電話で話す父親が次第に声が出なくなっていった

毎週日曜日に電話するのが日課だった

声の出ていた1年生

声がかすれる2年生

声にならずフガフガ言う3年生

フガフガ言うのは気管切開して自発呼吸を助けるためだった

まだその時は自発呼吸は装着していなかった

気管切開を希望していなかった父親だがある事故により救急処置が行われ気管切開した

これについてはまた機会があれば書くか分からない

とにかく人は窮地に立たされてもどこからか救いの手が差し伸べられる

どうかその手を取ってほしいと願う思いがある

人生のどん底は一度ではない

何回も来る

それが占いで言うところの大殺界や空亡という

しかし見方を変えると地獄に思えたことも天国に思えるから不思議



昨日の夕飯は肌寒く

温かい物が食べたいとリクエストがあり

肉うどんにした

玉ねぎたっぷりとろけさせた






私はこんな感じ↓




私の思いは重たい
それを重々自覚している
でも、それに匹敵するくらいご厚意にも甘えてきたことを記録したい