仙台の五橋通りにあるフレンチのビストロ

ラフルールドスリジエ 店主のSATOです。


今日もブログをご覧いただきありがとうございます!


今日は以前にもこちらのブログで書かせてもらいました、「フランス料理の歴史」について

その続きをお話ししていこうと思います。

よろしくお願いします!






西暦1700年代(18世紀)前半になると
摂生と政治が大嫌いな人物がフランス国王になりました。

王は自ら狩猟の獲物を料理したり、愛人のお抱え女料理人の料理が素晴らしかったからと

フランスの最高勲章の一つ[コルドンブルー]
を授けるなど、食に対してとても高い関心を持っていました。

すると周りの貴族たかは王に気に入られようと、競って料理に熱中して行きました。

そして料理が社交上の重要な話題になり、科学や芸術の一分野として、料理長が優遇されるようになりました。

そしてこの恵まれた時代背景によって、新しい料理が次々と生まれて行きました。

現代のフランス料理の原型が少しずつ作られて行きました。

その後、18世紀後半になるとまた政治的な技量の乏しい王が君臨し、貴族や一部の上流階級の人々は既得権益をしっかりと持ちましたが、国は他国との戦争で財政難に

そして民衆の生活は困窮する一方でした。

当然、ここで民衆の怒りが爆発

フランスの歴史を変える大革命が起こりました

そう歴史の教科書でも習いましたね

1789年 のフランス革命

です。

それまで時間もお金も惜しまずに料理だけを作っていれば良かった料理人達が路頭に迷い
  その当時少しずつ増えていた街場のレストランへと流れ込んでいきました。


この事が後のレストラン隆盛の時代を作って行きます。


西暦1800年(19世紀)になると今度はナポレオンが皇帝に君臨しました。

ナポレオンはフランス革命以前の王侯貴族達の豪華絢爛な宴会を真似て
パーティーを開くようになりました。

そしてまた宮廷料理としてのフランス料理が息を吹き返しました。

そしてこの時にフランス料理の一つこ完成形を迎えます。

そしてこの当時活躍した料理長が記した料理本によって
宮廷料理としてのフランス料理が後世にも受け継がれ、体言化していきました。
この時の本には、肉料理、魚料理の区別とそれぞれに合う付け合わせ

そして多種多彩なソースとポタージュのバリエーションが書いてありました。

更に宴会の中で、華やかさと豪華さを演出する
「ピエスモンテ」と呼ばれる大きな飾りが食卓を彩り
それに負けじと料理の盛り付けも、より綺麗により高く、となっていきました。

(ピエスモンテとは、飾り用のお菓子の事です)


その後19世紀中頃になるとテーブルの上に所狭しと並べるフランス式のサービスから

料理を一品ずつ提供していくロシア式に変わって行きました。

ロシア式サービスによって、温かい料理は温かく
冷たい料理は冷たく食べられるようになりました。

そしてこの頃から「ガストロノミー」美味学
という学問と概念が出始めました。

19世紀後半になると
近代フランス料理の父
「オーギュスト・エスコフィエ」の手によって

・パティシエ
粉を使った生地を担当する人

・ガルドマンジェ
肉や魚など食材全体の下処理を担当

・アントルメ
スープなどの温かい料理おデザートを担当

・ロティスール
お肉をソテーしたりローストしたりする人

・ソーシエ
ソース作りを担当


という風に調理場の中で、それぞれの担当部門を決めて、より効率よく調理ができるようになりました。

今は少し内容は変わりましたが、調理場のシステムはエスコフィエのおかげで形作られたのです。

そしてこの後も
ヌーベルキュイジーヌなどの新しい変化がありながらフランス料理ら現代に続いていくのです!


ひとまず終わり!?


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