仙台の五橋通りにあるフレンチのビストロ
でも20代の頃は若さもありましたので、もう勢いと体力と意地!
それに仕事自体は、とてもやりがいを感じていましたし、何よりもお客様に喜ばれる事がとても嬉しかったです。
そんな生活を6〜7年続けて行く中で、自分の中にも新たな目標を目指したい
自分が前菜を担当させて貰えたからと言っても
という風になり、今まで散々嫌味を言って来ていた先輩も、責任だけ押し付けて距離を取る様になりました。
でも自分はそんな地獄の様な状況が毎日続いていましたが、決して逃げようとは思いませんでしたねー
この先輩は本当 言ってる事がめちゃくちゃ(当時はそう感じてました)
やらなきゃいけない!
と思って必死にくらいついていった訳なんですよ!

ラフルールドスリジ店主のSATOです
今日もブログにお付き合い頂きありがとうございます!
本日のブログは前回の記事の続きといいますか
まぁ自分自身が今まで歩んできた道のりをざっくりとお話ししていこうというところでございます。
で前回の記事がこちら
↓↓↓↓↓↓↓↓
自分が20代の頃までを書かせていただきました。
【人生二つ目の転機】
20代の頃にお世話になったお店は、席数が40〜50席ほどのレストランバーでした。
そこでホールの仕事を任されるようになり、仕事そのものにも、やりがいを感じるようになりました。
そこで日々の営業の中でお酒やサービスの勉強をしたり、常連様と楽しく会話をさせてもらいながら、毎日忙しく仕事をこなしていきました。
それで当時はお店の定休日も無く、ほとんど仕事の休みが無い生活を送っていました。
更にお店もランチから営業していたので、朝10時から23時〜27時まで(忙しい日は夜中になる事もしばしば)ほぼノンストップで仕事をしていました。
おそらく一年間通して、お盆とお正月を含めても
片手の指で数えられる位の休みしか無かったと
思います。
まぁ今で言うところの完全なブラック企業ですねー
でも20代の頃は若さもありましたので、もう勢いと体力と意地!
で乗り切っていましたね
それに仕事自体は、とてもやりがいを感じていましたし、何よりもお客様に喜ばれる事がとても嬉しかったです。
そんな生活を6〜7年続けて行く中で、自分の中にも新たな目標を目指したい
という想いが芽生えて来ました。
それはまず
❶自分がお客様と接してサービスをしていく中で、自分の作ったカクテルをお出しした時にとても喜んで頂ける事も多く、嬉しくてお酒についてかなり勉強していたのです。
【その過程で もし料理やデザートを自分が作る事が出来て、尚且つそれをお客様にお出しする事ができたとしたら、きっとより多くのお客様に喜んでもらえるのではないか?】
という想いと
❷コレはどんな組織に居ても感じる事だと思うのですが、やはり自分がやりたい事や目指したいと思う物なんかは、必ずしもその組織 会社の方向性とは一致する訳では無い
という事
❸自分がキャリアを重ねて、長い間お店に立つ事によって
今度は下の若いスタッフが育っていかないのでは無いか?
という想いを日々感じるようになってきたのです。
そしてその想いが日増しに強くなり、ある時
そのオーナーに相談をして長年お世話になったお店を辞めて
料理人として一から学ぶ事を決意しました。
その時 既に29歳。
おそらく誰が見ても料理人をめざすには遅すぎるスタートだと思ったと思います。
それでもチャレンジしてみたい衝動に駆られて
何も分からずに料理人として1からの修業が始まりました。
【そして料理人の世界へ】
その時たまたまお世話になる事になったレストランがフランス料理のお店でした。
前のお店でも仕込みで野菜や肉を切ったり、ホワイトソースやトマトソースなんかを作ったりしていたので、同じ洋食屋さんとして多少は自分でも出来るだろう
というくらいの気持ちは持って入りました。
しかし、そんな素人の甘い考えは入って直ぐに
ものの見事に打ち砕かれました。
まず何が解らないって
扱われている食材や仕込み作業の多くが
フランス語🇫🇷だったのです。
例えば玉ねぎ一つ切るにしても
エマンセ
アッシェ
コンカッセ
デ
ブリュノワーズ
etc......
と形、大きさによって全部呼び名が違うのです。
だからまず何をやるかすら分からず
他の若いスタッフが手際良くどんどん
仕込みをしている中で
自分1人完全にフリース
してしまいました。
だからまず自分が覚えなければ成らなかったのが、料理ではなくフランス語でした。
そしてフランス語を勉強しながらも
仕事は毎日 朝から晩までありますので
解らないながらも、とにかくやらなければなりませんでした。
更に当然今までまともに料理の勉強をした事が無い自分にとっては、作業も鈍臭くまごついてばかりでした
そして29歳の新人に対して、先輩は年下
当たり前の様に年下の先輩から毎日罵声を浴びせられました。
そして毎日自分で何を作っているのかさえ解らない作業の連続。
正直 自分で選択した道が正しかったのか自問自答を繰り返し、全く意味を感じられない毎日を過ごしていました。
そんな生活を何とか耐えながらも
気がつけばこの世界に入って
もう一年が経とうとしていました。
そしてとある日、知人に誘われて東京に行く機会がありました。
その時に折角だからと東京の有名レストランで勉強を兼ねて食事をしました。
そこのお店では、いわゆる「フランス料理のフルコース」をいただきました。
そこのお店の料理は本当に素晴らしく、出て来る料理の全てが美味しかったです。
そしてそのお店では20代前半くらいのスタッフが何人も働いており、皆キビキビと一生懸命に働いていました。
そんな姿とそのお店のお料理を見て自分が感じた事は
「あぁ自分は1年もこの仕事をしていて、皆の様にキビキビとした仕事なんか出来ないし、今日食べたお料理さえも何1つ作る事が出来ないなー」
という厳しい現実でした。
そしてその時、密かに
もうこの仕事は辞めよう
そして違う仕事を探そう
と心に秘めて仙台に帰って来ました。
ところがそんな自分の気持ちは全く知らなかったと思うのですが
当時そのレストランには、自分が入る少し前に大きなホテルから来たパティシエの大先輩(その当時で50歳くらい)のSさんがいました。
そして東京から帰って数日経ったある時、何故かそのS先輩に呼ばれて話しをされました。
「佐藤君はコレから経験を積めば必ず料理もデザートも出来る様になる。
普通はホテルで働いていると、若手がソースやストーブ前(焼き方)をやらされる事はほとんどない。
でもこのお店は若手にどんどんやれと言う。
だから佐藤君も自分から進んでどんどんやっていけ」
という事を言われました。
その時は正直、自分でも明らかに料理の才能が無いという事は感じていましたので
正直、内心 「え"っ
⁉️」
て感じでした💦
でもその後、直ぐにお店の方から配置替えをいいわたされて、なんと自分が前菜の担当を任される事になりました。
展開の早さに驚きと戸惑いを感じながらも、自分もチャンスだと思いここで頑張ろうと決意しました。
その後、このパティシエのS先輩は他の系列のレストランに移動になりましたが、自分が作るデザートのルセットはこのS先輩の物が基本になっています。
今でも自分が大尊敬するパティシエの偉大な先輩です。
【本当の修業】
自分が前菜を担当させて貰えたからと言っても
人間直ぐに仕事が出来る訳でもなく、
やはり毎日のように年下の先輩や上司から怒鳴られたり、罵声を浴びせられたりという散々な毎日でした。
理不尽な想いをする事も多く感じながらも、いつか出来る様になると信じて料理の勉強に励みました。
そんな中
ある日、短期間でのお手伝いという事で1人の料理人が入って来ました。
その方は自分の1つ上の先輩でしたが、大阪の有名な調理師専門学校を出て
更に大阪のバリバリの第一線で修業をされて来たという方でした。
そしてこの先輩が今までの人生の中で一番の極悪非道❗️
(笑)
な人「Yさん」でした!
Yさんは、ありとあらゆる仕事に関して、とても厳しい方でした。
まずそのYさんの指導したやり方と違った事をやったり、言われた事が出来ていない時や、雑な仕事をしよう物なら
もうー
悪魔の様な雄叫びと共に強烈なパンチ
が飛んで来ました。
が飛んで来ました。なかでも調理場で一番立場が弱く、かつ鈍臭い自分が真っ先にやり玉にあげられました。
そして周りの先輩達も自分達のところに火の粉が飛んで来る事を嫌い
何か問題が起これば、全て佐藤のせいだ!
という風になり、今まで散々嫌味を言って来ていた先輩も、責任だけ押し付けて距離を取る様になりました。
その結果 おかげ様で自分はすっかりその凶暴なYさんの標的になり
来る日も来る日も
殴られて 蹴られて 殴られて 蹴られて 殴られて 蹴られて
の毎日になりました。
なので、頭から血を流したり、蹴られた足を引きづりながら仕事をしていました。
それで、あまりにもそのYさんの暴力が酷い為に、洗い場のパートさんが泣きながら止めに入る程でした。
イヤー今だったら完全に警察ざたですねー
でも自分はそんな地獄の様な状況が毎日続いていましたが、決して逃げようとは思いませんでしたねー
何でかって❓
何でかというと この先輩が今まで一緒に仕事をして来た料理人の中で一番、、、 いや
唯一 言ってる事とやってる事が一緒だったんですよ!
この先輩は本当 言ってる事がめちゃくちゃ(当時はそう感じてました)
だったんですが、でもそんなめちゃくちゃだと自分が思っている事を全てYさん自身は、やりこなしていたんです
例えば、ランチのピーク時は料理の伝票が立て続けに
10〜20枚入るのです。
今まではその伝票を一枚ずつ目で確認しながオーダーを作っていたのですが、Yさんは
「オーダーなんて10個くらいはホールスタッフが読み上げた時に暗記しろよ!」と言って
本当にホールから言われたオーダーを伝票も見ずに順番に仕上げていきました。
つまり今まで「そんな事出来る訳ないだろう」
とか周りの先輩や自分が思っていた事が、実際に目の前でやられてしまうのです。
だからもう
という気持ちと共に
やらなきゃいけない!
と思って必死にくらいついていった訳なんですよ!
それで人間やれると思ったら、本当に出来る様になる物で
おかげで自分もその先輩並とは言いませんが、なんとか出来る様になっていったのです。
その後も先輩の厳しいご指導
の元
ドンドン成長していく自分を、感じる事が出来るまでになりました。
ですから今日の自分の存在は、この極悪非道なYさん抜きには語れ無い
ですね(#^.^#)
また続きます!
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