日大アメフト問題に見る「子ども」扱いに疑問 | いんぴん爺の徒然語り

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「いんぴん(仙台弁でへそ曲がり)」を自認する爺ちゃんが日常の出来事を綴ります。

 日本大学アメリカンフットボール部の悪質タックル問題から爺はひとつ疑問がある。大学生は「子ども」だろうか。親から見れば、息子は子ども、当然だ。しかし、これぐらい大きな問題になってクローズアップされるのは、真実を語っている誠実な加害者である20歳の日大選手。会見では選手の実直さに共感を持ち、その態度に感服した。

 その際、20歳になったばかりで実名、顔だし記者会見をした加害者選手に対して、マスコミ関係に顔のクローズアップをあまりしないように要請があったとか、あるネットニュースでは、新聞も含めて加害者選手の写真の扱いに焦点を当て、批判したりしている。

 また、うそをついているであろう監督、コーチらに対して、「大人」のずる賢い側面をクローズアップしている。大学生である「子ども」と地位や組織を守ろうとする「大人」の違いを映し出している。ここで、爺は思うのである。選挙権も含めこれまで20歳を「大人」として認める区切りが、変わりつつある。

 かつては、成人の儀式として15歳になった際の「元服」式があった。そして、昭和の初期時代には集団就職として、都会に中学卒業後に働きに出掛けていた時期があった。仕事をするということは、社会人として一人前で働き賃金を稼ぎ責任を持って生活することである。だったら、親から仕送りして生活している大学生はどうだろう。今も苦学生はおり、両親がそのため、自分らの生活を犠牲にしながら汗水流している背景もある。仕事に勤しむか、勉学に励むか、形は違ってもそれぞれ社会人として責任を持たなければならない。ましてや。20歳になったら、言わずもがな、子ども扱いすること自体がおかしい。犯罪だったら、即実名報道だ。

 日大幹部の問題解決の意識欠如には腹が立つが、うそつきは大人子どもの違いではなく、人間性の問題であり、大人という組織人間であればこそ、保身の芽がニョキニョキと出てくる。この保身、「いじめ」という大きな問題も学校組織で出てくる。教育現場での保身体質こそクローズアップされていい。