喧嘩相手の兄、逝く | いんぴん爺の徒然語り

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「いんぴん(仙台弁でへそ曲がり)」を自認する爺ちゃんが日常の出来事を綴ります。

 爺は三人兄弟の三番目だが、すぐ上の兄が黄泉の国に旅立った。孤独死だった。十数年前から家族と別れ、独り暮らしをしていたが、昨年亡母の一周忌の際に会ったときに、兄の身体に異変を感じていた。無縁社会のキーワードが示すように家族や近所との付き合いもしなかった兄を見て、このままでは万が一の場合もあり得るとの危惧を持っていた。

 それが現実のものとなった。近くに住む爺の長兄が異変を感じ、密室状態の家をこじ開けて死を確認した。救急車、警察が来て検死をした。もちろん、事件性はない。衰弱死ということだった。60歳だった。昔ならともかく、今は「若い」という年齢だ。定年を数年後に控えていたが、会社をリストラされ独り暮らしをしていたのだった。

 方言だと思うが、「けんのんたかり」。いわゆる清潔さに神経質になる性格の人間だったが、最期を迎えた家の中は、ごみ屋敷を連想させるほどのものだったという。これまで疎遠になっていた二人の息子に長兄が連絡し、一連のあの世に送る支度に入った。

 「疎遠」という没コミュニケーションは大きな障壁だった。30代の息子たちは父親を送らなければならないことは理解できても、どう最期のイベントをやらなければならないのか戸惑っていた。代々の墓などはない。爺の長兄が自分の管理する菩提寺に納骨しようと考えたが、「一度家を離れた分家の人間は本家の墓には入れない」と名刹の副住職が放った言葉でかなわないことが分かり、仏式かどうかも含めどう進めていくかの判断を迫られた。

 いつまでもその判断をしないわけにはいかず、取りあえず、枕経だけを寺に頼みスタートラインについた。そこに至るにもさまざまなことがあった。「疎遠」だったからだ。「縁」を息子に切られていたらしいが、「縁」はそう切れるものではない。そこに至った経緯について爺は知らない。当事者しか知らないことで、爺がどうこう言えるものではない。

 葛藤のなか、亡兄の長男が喪主を引き受け、墓を建てるかどうかも含め遺骨の収め所を考えていくことになった。若い二人に葬式をあげ、墓を建てる財力などない。逝く者は最期を想定し、きちんとしなければならない。それがなかった。戸惑う子どもたち。いくら遺産が少しあっても、いざの時にそれなりの金がなければならないが、ようやく生活している若い息子たちにそれを求めるには酷だ。

 われわれ夫婦は家族だけで執り行い、散骨しようと決め、息子どもにそのことを常に告げていて、連れ合いはアイバンク、臓器提供の意志を常日頃から息子たちに話している。準備は少しずつ進めている。死に向かって生きている。爺は最期を怖いとも思わない。ただ、きれいに迎えたいと思う。

 これまで連れ合いは子どもたちに対して依存をせずに最期を迎えようとしていたが、今回のことで「甘えるときは甘えよう」との思いが芽生えた。迷惑はだれににも掛けたくないが、どうしようもない時がある。そのひとつが最期の処理だ。「家族」がいれば安心して任せられる。皆仲良くしてれば、笑いながら最期の別れができる。

 親父の通夜の席で亡き兄と口喧嘩をし、亡母に泣かれながら「こんなときにやめて」と言われたことを思い出す。小さいころから喧嘩をしていた兄、寂しがりやなのに素直にできず逝った兄。死に顔を見て、亡母に似ていると思った。母によく似ていると言われている爺は、そこに自分の最期の顔をダブらせるのだ。