「嵐」が一時去った-。「嵐」とは新潟の2歳8カ月になる息子の長男。嵐は2月にお兄ちゃんになるべく“娘”と一時帰郷、“娘”の実家とわが家を行き来している。その間、ワタシ同様に家のことをママ(“娘”)に任せ家事に手を付けない息子は、3人暮らしから単身となって寂しさとともに四苦八苦。その息子は普段「やれば出来る子」を吹聴しており、“娘”がいない3カ月余り、その実力のほどを試されている。
一方、郷里の仙台地区の2家族は、可愛いながらもその嵐に振り回され、片方の実家に行っている時が「快晴」のひとときとなっている。自分の実家に戻った“娘”のメールには「ゆっくり休んでください」の一言が…。

爺は嵐が言うことを聞かなければ、鉄拳が飛ばずとも20数年前に戻り、正座させしっかりと怒る。その様子をカメラで撮る“娘”、新潟のパパに日常の様子を報告するためだ。いくら息子の長男と言えど、手加減はしない。やる時はやる。それが「爺」の務めである。猫可愛がりは、若夫婦にも、嵐にもよくはない。嵐がいる間は、彼中心の生活リズムになってしまい、大人だけだった世界が一変する。連れ合いは、ハンバーガー屋さんの店員の真似をして、嵐と遊んでたりして大喜びなのだが、その反面「疲れた」を連呼する。リズムが嵐にかき回され、順応できないのだ。

爺は嵐が言うことを聞かなければ、鉄拳が飛ばずとも20数年前に戻り、正座させしっかりと怒る。その様子をカメラで撮る“娘”、新潟のパパに日常の様子を報告するためだ。いくら息子の長男と言えど、手加減はしない。やる時はやる。それが「爺」の務めである。猫可愛がりは、若夫婦にも、嵐にもよくはない。嵐がいる間は、彼中心の生活リズムになってしまい、大人だけだった世界が一変する。連れ合いは、ハンバーガー屋さんの店員の真似をして、嵐と遊んでたりして大喜びなのだが、その反面「疲れた」を連呼する。リズムが嵐にかき回され、順応できないのだ。
この嵐、工具箱を置いている納戸のドアを開けると、跳んできて「何やってんの?」と大きな関心を示す。以前、工具箱を開けて自転車の整備をしていた際、工具をいたずらしていて「お前、何やってんの?」と言ったら脱兎のごとく逃げていったことがあった。興味を持つことがあれば、しめたもの。ベランダに出て、自転車の掃除をしようとしたら、「何するの?」。一緒に愛車の掃除だ。物を大切にする「しつけ」でもある。今や自転車の稼動部分に油を差すこともなく、チェーンを錆つかせて走っている人たちが多いことか。連れ合いにも口酸っぱく言っているが、空気は入れても油までは差さず錆付かせている始末だ。
嵐は過ぎ去ったかのようだが、月末には「大嵐」とともに再上陸が予定されている。来年になったら、2つの嵐が同時上陸することになる。どうしたものか。