今日は14時から病院だった。12時半頃に息子を起こし、一緒に昼食を食べた。そのとき改めて「今日は14時から病院だよ」と伝えると、思い出したように嫌そうな顔をした。13時頃に「そろそろ出よう」と声をかけると、「何時に終わるの?」と聞いてきた。「15時くらいじゃないかな」と答えた。昼食後、息子はPCを立ち上げ、オンラインの友達とのチャットを始めたようだった。ゲームをしていたのかは分からない。ただ、息子にとってはPCを立ち上げ、オンラインの友達とつながることから一日が始まる。13時を過ぎても車に来ないので、もう一度部屋をノックした。息子はヘッドホンをしてPC画面を見ていた。私に気づくと一瞬こちらを見たが、「病院に行く時間だよ」という私の声に、「分かった」と一言。

嫌そうでもない。ただ、時間を気にする様子もなく、PC画面を見ながらの返事だった。私は、その「分かった」に行く意思がないことを感じた。以前の私なら、ここから何度も声をかけていただろう。不登校になったばかりの頃は、何とか息子を学校に戻したいと必死だった。でも今日は違った。この状態で無理やり病院へ連れて行っても、本人にとって診察が意味のあるものになるとは思えなかった。私はそれ以上声をかけず、ドアを閉めた。そして、私一人で病院へ向かった。先生には、息子の現在の生活や学校の状況を伝えた。また、学校から「学業とゲーム依存の治療を両立するのは難しく、まずゲーム依存の治療を優先した方がよいのではないか」と言われたことも伝えた。先生も少し困った表情をされていた。それでも、今の息子はゲームに強く意識を占められ、他のことに関心を向けることが難しい状態なのではないか、それは病気だという前提で、今後を考える時期に来ていることについては、先生も理解されていた。学校に通いながら病状回復できるレベルの話ではない。最後に先生から、「息子さんは病院について何と言っていますか?」と聞かれた。私は正直に、「先生と話すことに意味があるのか、と言っています」と答えた。先生は苦笑された。今日は息子を病院に連れて行くことはできなかった。でも、以前なら「連れて行けなかった」という失敗だけを考えていたと思う。今日は、本人が自分の意思で動かない状態で、親がどこまで動かすべきなのかを、少し冷静に考えられた一日だった。

お盆休みを利用して、ゲーム依存について、家族会やYouTube、さまざまな方の経験談を聞いてきた。そこで感じたのは、ゲーム依存から抜け出すには、本人の中に「このままではまずい」「高校は卒業したい」「中卒は嫌だ」「大学に行ってみたい」

といった、自分自身の「変わりたい」という気持ちが生まれることが大切なのではないかということだ。

親が「勉強しなさい」「ゲームをやめなさい」と言い続けても、本人が変わろうと思わなければ、なかなか状況は動かない。

通信制高校へ進学したとしても、本人に学ぶ意思がなければ、その先で大学や社会生活につまずいてしまうケースもある。

結局、学校という場所を用意するだけでは十分ではない。親にできることには限界がある。だから今は、無理に息子を変えようとするより、本人が自分の人生について「このままでいいのだろうか」と考えるきっかけを、少しずつ作っていくことが大切なのかもしれない。その小さな「変わりたい」が生まれたとき、初めて本人の人生が動き始めるのだと思う。

夏休みで時間があったので、平日に行われた病院主催のゲーム依存の保護者会に参加してみた。10人ほどの親が車座になり、それぞれの家庭のことを話す会だった。私は最後だったため時間切れでほとんど話せなかったが、他の方の話を聞くだけでも、いろいろと考えさせられた。私は初参加であったが基本的には皆さん以前も参加されておられ、子どもの近況を話すことは慣れておられた。30歳を超えた引きこもりの息子さんを抱えている方もいた。オンラインゲームから距離を置かせるために、思い切って海外留学をさせたという家庭もあった。我が家と同じように中高一貫校に通い、学校から与えられたPCをきっかけにインターネットやゲームへの依存が始まったという方もいた。ゲーム依存といっても、その背景や家庭の状況は本当にさまざまだった。特に印象に残ったのは、高校の普通科から通信制高校へ転校した子どもたちの話だ。

学校には十分通えていなくても、通信制高校に代わったことをきっかけに「この科目だけは単位を取ろう」「卒業に必要な最低限はやろう」と、少しでも学習に向き合っている子がいた。それに比べると、息子は通信制高校に入学したものの、入学式にも行かず、授業にも出ず、レポートにも取り組めていない。通信制高校は、毎日学校へ行けなくても学べることがメリットだと思っていた。しかし、そもそも学ぶこと自体ができなければ、そのメリットを生かすこともできない。最近は、「通信制高校を続けることにどんな意味があるのだろう」と考えるようになった。もちろん、退学しても高卒認定や別の通信制高校、若者向けの支援など、道がなくなるわけではない。ただ、その先には本人が何かに向かって一歩動くことが必要になる。

今回、いろいろな家庭の話を聞いて、ゲーム依存には一つの答えがあるわけではないことも改めて感じた。今日の保護者会で感じたのは、学校に「行けるか、行けないか」だけが問題ではないということだった。「今の自分にできることを、一つでもやる。」他の子どもたちには、その小さな一歩があった。もちろん、我が家と同じように小さな一歩を踏み出すのが難しいご家庭もあった。息子にも、いつかそんな一歩が出てくるのだろうか。通信制高校を続けるのか、休学するのか、辞めるのか。今はまだ答えが出ていない。息子が通信制高校に向き合うことから逃げている。ただ、親としては「在籍していること」そのものではなく、そこから本人が何か一つでも動き出せるかを、もう少し見ていきたいと思っている。

今日は、通信制高校のカウンセラーの先生と息子が面談する日だった。通信制高校で不登校の生徒を多く見てきたベテランおじいちゃんカウンセラーだ。先週から予定は伝えてあったので、本人も分かっていた。ただ、いつものように「16時からゲームの大会があるから早く帰りたい」と予防線を張る。学校へ行く日は、だいたいいつもこんな感じだ。学校までは電車とバスで約40分。時間的には少し無理があるが、「何とか早く帰れるかもしれないよ」と声をかけ、一緒に向かった。途中、息子の好きなラーメン屋があったので、「面談の前にラーメンでも食べよう」と誘うと、意外にも素直についてきた。二人でラーメンを食べ、ちょうど15時に学校へ着いた。最初の30分は息子とカウンセラーの先生が二人で面談。その後、私が先生と話をした。先生から伺った息子の様子は、私が普段感じていることとほぼ同じだった。

「学校は辞めたくない。でも行きたくない。今はゲームが楽しい。オンラインの友達が中心で、課題はやる気がしない。」

その上で先生は、退学や休学は9月・10月では早いとおっしゃった。本人も授業料がかかっていることや、このままでは留年することは理解している。判断するなら学年の区切りとなる来年2月頃を一つの目安にし、それまでに本人にも考えてもらう時間を持たせた方がよいというお話だった。また、「しばらくは学校やゲームの話ばかりしない方がいい。健康や食事、睡眠など日常の話題を大切にしてください」という言葉も印象に残った。そしてうれしかったのは、先生が「また話しに来る?」と聞いたとき、息子が「14時なら30分くらいなら来たい」と答え、次回の面談の日程を自分で決めたことだった。その場に私はいない。息子と先生の二人できめたことだ。家に帰ると、息子に先生の印象を聞いた。ぽつりと一言だけ言った。「話しやすい先生だった。」私はそれ以上、面談の内容を聞かなかった。もちろん、今日一日で何かが劇的に変わるわけではない。今も部屋からはゲームを楽しむ声が聞こえてくる。昨日と同じ生活だ。先生からは、息子の様子は事前に私から聞いていた通り。この問題は解決まで時間がかかると言われた。それでも、私は今日は少しだけ前に進んだ気がした。息子が自分の意思でカウンセラーと話し、次回の約束までした。その小さな一歩を、今日は大切にしたいと思う。

息子の学校をどうするかを考えているうちに、自分の中で一つ気づいたことがある。これまでは「学校へ行く」という分かりやすい目標があった。だから、学校や病院の先生と協力しながら、少しでも学校へ向かってくれればと願っていた。

しかし現実は変わらなかった。学校の先生からも「ゲーム依存については学校だけで対応するのは難しい」という率直なお話をいただき、学校が解決してくれるという考えは、少しずつ変わり始めている。では、学校を辞めたら働けばよいのか。そんな単純な話でもない。支援機関や治療という選択肢もあるが、本人にその意思がなければ動き出すことは難しい。最近気づいたのは、私は「学校へ行かせたい」のではなく、「社会とつながっていてほしい」と願っていたということだ。学校は、そのための一つの手段だった。だから学校という目標がなくなると、何を目標に息子と関わればよいのか分からなくなる。息子への関心が薄れたというより、親として何を目指せばよいのか迷っているのだと思う。「息子をどう変えるか」ではなく、「家族としてこれからどう生きていくか」。今は、そのことを考える時期に来ているような気がしている。

最近長年勤めた会社を辞め、この夏から新しい職場で働き始めた。職場は以前より遠くなり、毎朝早く起きて、片道約2時間かけてバスと電車で通勤している。最初は、「この生活についていけるだろうか」と不安だった。でも、人間は意外と環境に慣れるものだ。気が付けば、この生活が当たり前になってきた。毎朝、「なぜこんなに時間をかけて仕事へ行くのだろう」と自分に問いかけることがある。もちろん、自分や家族が生活していくためという理由は大きい。でも、それだけではない。仕事そのものが自分に合っていて楽しいこと、長年の知り合いがいること、そして家で何もせず一日を過ごすより、誰かに必要とされる場所がある方が充実していること。そんな理由もある。毎朝、駅にはたくさんの通勤客や学生がいる。

それぞれが自分の役割を持ち、一日を始めている。その光景を見るたびに、「こうやって社会は動いているんだな」と実感する。そして、自分には今も働く場所があり、「来てほしい」と言ってくれる職場があることを幸せに感じる。もちろん、この先は定年もある。働きたくても、年齢とともに働ける場所は少しずつ減っていく。それも人生なのだと思う。息子には息子の人生がある。親と同じ道を歩んでほしいとは思わない。でも、一人の父親として、自分がどんなふうに働き、どんなふうに毎日を過ごしているのかは見せていきたいと思う。朝起きて、仕事へ行き、人と関わり、夕方家に帰る。そんな毎日も、決して悪い人生ではない。家にいてオンラインの友達と話すだけでは、見えない世界がある。だからこそ、親として今の息子にできることは、立派な言葉を並べることではなく、自分自身が毎日を生きる姿を見せ続けることなのかもしれない。いつか息子が自分の人生を考える日が来たとき、その姿が少しでも何かの参考になれば、それだけで十分だと思っている。

通信制高校の先生から返信をいただいた。

先生は、「どのような声掛けが有効か、私自身答えが出せていない」と率直に書いてくださっていた。

そのメールを読んで、親として改めて感じたことがある。

ゲーム依存と学校生活を同時に立て直すことは、想像以上に難しいのではないかということだ。

もしゲーム依存が一つの病気だとすれば、まずはその治療や回復があり、その先に学校があるのかもしれない。

私はこれまで、「通信制高校に入学すれば、少しずつ学校に興味を持ち、ゲーム依存も回復していくのではないか」と期待していた。

しかし、それは親の願いだったのかもしれない。

そもそも息子は入学式にも出席せず、一度も学校へ行っていない。本人の中には、「高校生活が始まった」という実感そのものがなかったのではないかと思う。

「それなら通信制高校の入学面接で、正直に学校へ行く気がないと言えばよかったのに」と考えたこともある。

でも今振り返ると、本人なりに親や中学校の先生に気を遣い、「通信制高校へ行きます」と答えてくれたのかもしれない。

不登校の親の会へ行くと、全日制高校へ進学したものの、高校1年生で不登校となり、高校2年生で通信制高校へ転校したという話をよく耳にする。

私からすると、一度でも自分で受験勉強をして、高校受験を乗り越えたことは正直うらやましく感じる。

もちろん、その後も順調に通えているわけではないからこそ親の会に来られているのだと思う。

それでも、多くのお子さんは、通信制高校でレポートを少し提出したり、スクーリングに一部参加したりと、学校との接点が「ゼロではない」状態にはなっているようだった。

高校受験を経験し、提出物や定期テストを繰り返してきた積み重ねが、わずかでも「やらなければ」という気持ちにつながっているのかもしれない。

それに比べると、息子は中学2年生の頃から勉強そのものを放棄してしまった。

授業は息子を待つことなく、進学校らしいスピードで進んでいく。その流れについていけなくなり、提出物を出すという習慣も、そこで止まってしまったように思う。

美術の作品も何か月も遅れて提出し、中学3年生になると、それさえ提出しなくなった。

これは学力の問題というより、「出さない」と自分で決めたら、そのまま動けなくなってしまう特性があるように、私には見えている。

もちろん、親から見た一つの捉え方であり、本人の中には別の理由や葛藤があるのかもしれない。

だからこそ、「勉強しなさい」「学校へ行きなさい」という言葉だけでは動けない現実がある。

学校だけでも、家庭だけでも解決できる問題ではない。

今回、先生からいただいたメールを読んで、一つ考え方が変わった。

これまでは、「学校に通うこと」がゲーム依存から抜け出すきっかけになると考えていた。

しかし今は、順番が逆なのかもしれないと思い始めている。

まずはゲーム依存という状態に向き合い、回復への道筋をつくること。その上で、学校や学びに戻っていく。

ゲーム依存と学校生活を一つの問題として考えるのではなく、別々に考えるという視点は、私にとって新しいものだった。

もちろん、それが本当に息子に当てはまるのかは分からない。

それでも、学校の先生からも「専門機関との連携が優先ではないか」という言葉をいただいた今、親としてはその可能性も真剣に考えなければならない。

一方で、その考え方を受け入れるということは、通信制高校に在籍し続ける意味についても、改めて向き合うことになる。

今すぐ退学を考えているわけではない。

しかし、ゲーム依存への支援を優先するのであれば、学校という選択を一度見直す日が来る可能性もある。

そんな現実を少しずつ受け止め始めた自分がいる。

そのことが、親としては何より複雑で、胸が締めつけられる思いだった。

高校の先生からメールをいただいた。先生は、息子と一緒にゲームをしていた中学時代の友達が受験のためにゲームをやめたことや、今はオンラインの友達との交流が中心になっていることを心配してくださっていた。その一方で、

印象に残った言葉があった。「ゲーム依存症は通常の不登校と少し性質が異なるのではないか。」
そして、「どのような声掛けが有効か、私自身答えが出せていない。」学校の先生がここまで率直に話してくださったことに、私は複雑な思いになった。これまで先生は何度も電話をくださり、学校へ来られるよう声をかけ続けてくださった。それでも、本人は電話に出ず、連絡を確認せず、オンライン授業にもアクセスしない。学校としてできることには限界がある。その現実を先生も感じておられるのだと思う。
一方で、先生は「専門機関との連携の方が優先度が高い」とも話してくださった。これは「学校だけで抱え込む問題ではない」というメッセージなのだと受け止めた。親としては、「学校へ行かせること」ばかり考えてきた。しかし今の息子に必要なのは、学校だけではなく、医療や支援機関も含めた関わりなのかもしれない。正直、答えはまだ見えないが、義務教育期間は終わっており、学校の先生を頼ることの限界も同時に感じた。
 

ここ数日、息子の生活に小さな変化が見られるようになった。これまでは、深夜3時頃までゲームをして、その後にお風呂へ入り、ようやく寝るという生活だった。ところが、ここ数日はゲームをしながら寝落ちしてしまい、朝11時頃に起きてからお風呂に入っているようだ。もちろん、歯を磨かずに寝てしまうことは親として気になる。でも、それ以上に感じたのは、「眠くなったら眠る」という自然な流れが少し戻ってきたのではないかということだった。以前は、眠くてもゲームやお風呂を優先して、夜更かしが当たり前になっていた。

それが最近は、睡眠が勝っているようにも見える。大きな変化ではない。昼夜逆転はまだ続いているし、学校に向かう様子もない。それでも、ずっと同じ生活が続いていた息子に、小さな変化が現れていることは事実だ。思い返せば、このところ別のゲームへ興味が移ったり、中学時代の友達が受験に向かってゲームを離れたりと、息子を取り巻く環境にも少しずつ変化が起きている。一つひとつは小さな出来事かもしれない。でも、親としては、その小さな変化を見逃さずにいたい。

そんな思いで、今日も静かに見守っている。

昨日、息子から珍しく声をかけられた。「ゲームのアカウント名を変えたい。」未成年のため、アカウント名を変更するには2段階認証で親の承認が必要らしい。そのため、私に話しかけてきた。その後、部屋から「もう明日からやらん。」という言葉も聞こえてきた。何があったのかは分からない。オンラインの友達とのトラブルなのか、それともゲームで何か嫌なことがあったのか。一瞬、「ゲームをやめるのだろうか」と期待した。しかし、その後も部屋からは、いつもと変わらない大きな声が聞こえてくる。どうやら取り越し苦労で、オンラインの友達とゲームは続けているようだ。キーボードを操作している様子からすると、最近始めた別のゲームなのかもしれない。
大会があるゲームは大声で笑ったりしない。順位を決めるので、真剣勝負だからだ。なので、大声で笑っているということは、プロゲーマーになるための練習ではない。

思い返せば、中学時代から一緒にゲームをしていたリアルの友達は、高校に入ると大学受験を目指してゲームから離れていった。その後、最近は、息子はSteamで新しいゲームを探しているようだ。2段階認証は親の承認が必要みたいで、時々話しかけてくる。新しいオンラインの友達と遊ぶことが増えたように感じる。以前は「プロゲーマーになる」「YouTuberになる」と口にしていたが、最近はその言葉を以前ほど聞かなくなった。どんな生活を送りたいのか、ゲーム以外に何をしたいのかと聞いても、答えは返ってこない。本当にプロゲーマーを目指しているのか。それとも、それ以外の将来をまだ思い描けないだけなのか。親には分からない。ただ感じるのは、ゲームが夢というより、ゲームしか将来を語れなくなってしまっているように見えることだ。勉強から離れ、学校にも行けなくなった今、ゲーム以外の世界を思い描くことが難しくなっているのかもしれない。今回の「もう明日からやらん。」という言葉は、ゲームそのものをやめるということではなく、別のゲームへ、新しいオンラインの仲間へと居場所が移っているだけなのだろう。ゲームの中にも出会いと別れがある。リアルの友達が受験に向かったように、オンラインの世界も少しずつ変わっていく。その変化が、いつかゲームの世界だけではなく、現実の世界にも
目を向けるきっかけになってくれたらいい。親として願うのは、ゲームをやめることではない。ゲーム以外にも、自分の居場所や夢、そして「これからの人生」を少しずつ見つけていってほしい。おそらく、ゲーム以外に自分の居場所を見つけないと、朝早く起きることはないだろう。きっと、朝起きる意味を見出すまでは昼夜逆転生活は直らない。そんな日が来ることを信じて、今日も息子の小さな変化を見守っている。