3年のありがとう。
こんばんは。
ご無沙汰しています。
もう10月なのに、まだ室内では半そででいられるなんて!
2、3年くらい前は、もっと寒かったような気がするのに・・・。
3年前。
夜の公園は、吐く息が白くなっていました。
寒くて、「寒い、寒い」って言ってた。
そして、その日、私に好きな人ができた。
私たちも、丸3年になりました。
3年すると、付き合い始めたころに比べると、何もかもが本当に変わりました。
まず、だいぶ落ち着いた関係になったと思います。
「変わり者」は、いつも言います。
「まだ2年」「まだ3年」って。
最初は、「いじわるだなぁ」と思っていました。
「これぐらいで、満足するな」と言われているようで。
でも、最近、やっと彼の言いたいことがわかってきました。
それは、いつもその言葉に続く「これからの長い付き合いの中の、ほんの2年や」「3年や」という言葉。
初めは「ゴールが見えないなんて・・・」と思っていたけど。
今では「じゃあ、まだ一緒にいられるんだ」と思える。
周囲からは「冷めてる」なんて言われるときもあるのですが(笑)。
この「地に足ついた」感じが、やっぱりいいのかなぁって思えるんです。
まぁ、たまには「あのころは・・・」とちょっと羨ましく(?)思うときもあるのですが。
最近、本当に大切に思えるのが、一緒に過ごす時間そのもの。
何も特別なことはしなくて、1週間に1度、ただ会うだけ。
それでいいんです。
旅行とかも、もっと先の楽しみにとっておけばいい。
もっと先になって、そのとき行けなければ?
じゃあ、もーっと先の楽しみにしておけばいい。
浮き沈みのある、ドキドキするような恋愛よりも、今は、自分の生活の習慣のように、彼といるのが当たり前の時間を過ごすのが好きです。
3年のありがとう。
これからのよろしく。
それを、ただ丁寧に、毎日綴っていくことが、私の幸せです。
「これからもずっと、一緒にいようね」
「うん」
私が言ったら、彼がひとこと。
「やったー!」
思わず言葉が出てしまいました。
ただいま4年目、進行中です。
それでは、また。
あい
帰るべき場所。
こんばんは。
私は昨日まで、一週間ほど両親の田舎の長崎へ帰っていました。
ずっと、祖父母宅にいましたが。
私はペーパードライバーなので車が運転ができないし、電車もなくて、バスもあることにはあるけど・・・。
そんな、足のない状態なので、私一人で帰るときは、叔父がいつも足になってくれます。
海上自衛隊のお偉いさんなのに・・・おじちゃん、ありがとう。
祖父母の家は、長崎でも、市内ではありません。
小さな町の、田舎です。
周りには子供もいないし、本当に何もありません。
それでも、日に何人か訪ねてくる人と、おじいちゃんとおばあちゃん。
そして、忙しい中、遠いところから会いに来てくれる親戚。
それだけで、本当に一週間が早かったです。
私には、おじいちゃんもおばあちゃんも、一人ずつしかいません。
母方です。
父方には、いないのです。
その代りに、「おばちゃん」がいます。
父の姉になりますが、父と20歳離れているので、母方の祖母と変わりません。
父は幼いうちに母親を亡くしているので、「おばちゃん」がお母さん代わりだったのでしょう。
「おばちゃん」には、旦那さんも、子供も、孫もいません。
だから、私たちのことを孫のように大事にしてくれて。
そんな「おばちゃん」は、もともと体が弱かったのですが、数か月前からは入院していて。
ずっと心配していたんです。
今回、3年ぶりに「帰ろう」と思ったのは、おばちゃんに会いたかったのが、まずありました。
「あら!お前が来るとを私はどんだけ待っとったか!」
突然病室に行くと、びっくりした声をあげて、「おばちゃん」がこちらを見ました。
もともと小さかったのに、いつの間にか、またこんなに小さくなって・・・。
私も目を合わせた瞬間、こみ上げるものがありました。
そして、気がつけばお互い、手を取り合っていました。
「おばちゃんには、あんたたちだけが楽しみ」
それが、「おばちゃん」の口癖だった。
私が中学から私立に行けたのも、おばちゃんのおかげだった。
お礼の電話をすれば、必ずそう言った。
自分の兄弟が世話をしてくれる。
もちろん感謝をしている。
それでも、自分の孫のように思う、私たちへの思いはひとしおだったのだろう。
「おばちゃん、おばちゃん」と言いながら、ふと自分は「おばあちゃん」と間違えているのでは、と思ったこともある。
小さな声で話しても、全く聞き返すことがないくらい、耳は達者。
手も不自由なく、目もそれなり。
なのに、めまいがひどくて、歩くことができない。
腰も悪いから、起き上がるのもやっと。
「お前の旦那さんば見るまで、私も頑張らんばと思とっと」
私が行ったせいか、その日は顔色は良かったと、連れて行ってくれた伯父さんが言っていた。
母方の祖父母は、畑仕事に毎日勤しむほど元気です。
ただ、祖父が、今回「また年をとったな」と思いました。
「上さ行ってみんね?」
おじいちゃんから言われて、散歩に出かけたとき。
「あら、忘れた」
玄関を出たときに、そう言ってまた玄関に戻り、持ってきたのが杖でした。
普段バイクに乗るときは、普通だったから気付かなかったけれど。
数年前に腰の手術をしてから、坂を上ったり下りたりするときは、杖を必要とする生活になったのです。
曲った腰は、地面とほぼ平行になってしまっている。
やはり長崎で、かなり急な坂もあって、びっくりするくらいなのに、そこを杖をついて上るおじいちゃん。
ときどき、草で杖が滑ったり、休み休み上るおじいちゃんを見ていると、やはり思うものがあります。
今回、ちょうどお盆の時期に帰ったのですが、実はお盆に帰るのは10年くらいぶりです。
長崎のお盆は、ちょっと変わっています。
お墓で花火をします。
特に、初盆の家は、親戚中が集まって、「お墓参り?!」と驚くぐらいに大量の花火で大盛り上がり。
精霊流しは、川や海に近い人はしますが、私の祖父母宅は山なので、しません。
うちは、初盆でもなかったので、お墓に灯籠を吊って、静かにお墓参りをしました。
そこへ、近所の人たちも、線香を持って、参りにきてくれるんですね。
「こんばんは」
「あら、ありがとうございます」
「あら、お孫さんかね?」
その、長崎弁の他愛ないやりとり。
それが、とても愛おしく感じました。
「あの、良かったら、こぃば飲んでください!」
帰りに寄ったカステラ屋さんで、私ぐらいのお姉さんが、わざわざ缶の飲み物をくれたんです!
「あ、え、すいません」
「いえ、すいません、ありがとうございました」
あっけにとられた私に、笑顔で返してくれた、そのお姉さんの笑顔が、忘れられません。
おばちゃん。
次にいつ帰ってこれるかな。
それまで頑張っていてくれるかな。
おじいちゃん、おばあちゃん。
いつも、帰るときは、私の姿が見えなくなるまで見送ってくれるね。
私が帰ると、また二人の生活に戻ってしまうから、寂しくなるやろうね。
田舎の人たちは、みんなが本当に温かくて、どれだけ癒されたか。
この人たちがいる限り、私は帰らなければいけない。
あの場所に。
だから、今、揺らぐ自分がいます。
何もかもを捨てても、帰るべき場所なのではないか、と。
この帰省は、今までの中でも、特に意味のある帰省でした。
それでは、今日もこのへんで。
おやすみなさい。
あい
抱える。
こんばんは。
毎日暑いですね・・・。
バスや電車が冷房で寒いのに、外が暑くて、メガネがすぐ曇る(笑)。
毎回「はぁ」とため息ついてしまいます(笑)。
ため息と言えば。
私、癖なんです、ため息。
学生時代、いつも友達から「幸せが出ていく!」と口をふさがれてました(笑)。
最近、その癖がひどくて、いろんな人から「大丈夫?」と言われます。
こう、今ちょっと、胸がふさいでるというか、気分がふさいでるというか。
打ち込めないんですよね、仕事に。
というのも、ここ最近、お客様とのトラブルが続いています。
そのとき、そのときで解決すれば、一日も立てば気持も持ち直すんですが。
今は、抱えていることがあります。
ほかの人にしてみれば「放っておけばいい」という話なのだと思います。
結論からすれば、とても簡単なことかもしれません。
ただ、私、なぜか、うまく切り離せなくて。
会社の決まりに従って、対応した。
お客様に手数をかけることもわかってた。
でも、お客様の希望を通すには、会社の決まりに従わなければならない。
「特例扱い」
あると思います。
でも、原則、決まりに従わないといけない。
会社のとおりにしているのに、会社の評価を下げているのは、私?
お客様の気持ちもわかるけど、会社の決まりを99パーセント守らなければ。
会社も、お客様も譲れない。
譲らない。
そんなところに、私はずっと板挟みになっている。
「放っておけばいい」
それでは、よりお客様の信頼を失う。
放っておけるものなら、私もそうするけど・・・。
毎日、帰ってからも、お客様のことが頭から離れないんです。
絶対に、私は間違ったことはしていない。
その自信は揺るぎません。
ただ、お客様の気持ちを考えると、自分がどうすべきかがわからなくなる。
お客様に伝えたいことは、「会社の都合」なんかじゃない。
私が伝えたいのは、お客様の気持ちも考えた、ということ。
でも、それは、単なる私のエゴなのかな。
お客様も、会社も「結果がすべて」なのかな。
明日も、めげずにお客様にアタックしてきます!
それでは、おやすみなさい。
あい