どこまでも続く並木道
蝉たちの大合唱
色濃く映し出される影
つくば西武百貨店から5分ほど歩いた
東雲-しののめ-ホテルに連泊しています
わたし、年内には海のそばに家を借りようと心に決めました
出張で各地をまわっていると
気の流れのよい場所に身をゆだねることが
自分にどれほどよい影響をもたらすか、、、、ということが
もうひしひしとわかる
7年ほど前
大きな庭がついた古いアパートでひとり暮らししていたときは
ほんとうに心身ともにリラックスできて
生活は毎月ぎりぎりだったけれど
とても楽しく暮らしていました
おんぼろのアパートだったけど
ほんとに幸せだった
庭に立って星空をながめて
葡萄の木が屋根を這う姿を愛でた
ホースで水を撒くと虹がかかった
雪がつもった日は
毛布にくるまって縁側に座り
雪がしんしんとふるさまを
いつまでもいつまでもじっと見つめていた
雪に明かりが反射する
夜中なのに夜が明るい
雪明り、という言葉の意味を体で噛みしめた
4年前から海のそばで暮らしたいとブログでつぶやいていたし
海を散歩したりしながら空をみあげながら
アクセサリー制作に没頭したいと思っています
手を詠み星を詠むセッションも
海のそばでできればもういうことなしです
海のそばに引っ越そうと思ったのは
もうひとつ理由があります
茨木出張の前日
「獺ーkawausoー」という飲食店の15周年パーティーに
旦那さんとふたりで足を運びました
その日を境に、わたしは自分自身の内側に眠っていた
「あること」をはっきりと認識することになる
ここ数年、自分の中に芽生えているある変化に
薄々と気づいてはいたのです
「もう、できるだけ必要な言葉しか声として発したくない」
その日「獺」では、オーナーが声をかけてくれた
常連のお客様がテーブルを埋め尽くし
美味しいごはんがふんだんにふるまわれて
日ごろ口にすることが難しい格付けワインもたくさん飲めて
とても楽しい時間のはずだったのですが、、、
わたしには苦しい時間になりました
もう、いらない音はほしくない
「人間の言葉」も音だから
わたしは20年以上、自らの意志でお菓子を食べていない
間食もほんとにしていない
これは実話
爪にネイルもしない
化粧も10年以上していない
もう、テレビの音も
自らの意志では8年くらい聞いていない
よほどでなければBGMも聴かない
無音の中で暮らしてる
そのほうが調子がいいのだ
。。。が
仕事となればそんなわけにもいかない
先月、ひとの家に泊めてもらった
朝になり部屋に起こしにきてくれたその家主は
もう、とくに理由もなく
習慣でテレビをつけてくれた
朝のニュースが流れる
つらかった、、、
必要のない音を聴き
コミュニケーションのためにニュースの内容にともに相槌を打つ
けっこうしんどい
相手が善意があるからなおしんどい
それほど大事でもないことなのだが
テレビつけないで!とは
いきなり言えないだろう。。。
食べたくない間食を
コミュニケーションで無理に勧められるのもつらい
だか、人間関係のために口に運ぶ
いっておくが
この地球には、まだまだ飢えてる国がたくさんあるんだ
人を救いたいと望む前に
テレビを消してみたらどうだろう
言葉や情報や音におぼれるな
なんとなく口に食べものを運んでいないか?
まさかそれで
わたしダイエットしたい。。。
野菜食べなきゃなんて言ってやしないか?
食べ物をなめるな
まさか周囲にいるひとを救いたいなどと考えているか?
わたしはひとを「救おう」なんてこれっぽっちも考えていない
おこがましい。。。
わたしは憎たらしい人間だ
でも
だだひたすら
ひととコミュニケーションしたいだけだ
ほんとうによく嫌われてきた
ひとといることで
「必要のないことをする必要がある」
これが10代20代のころはまったくできなかった
30代のころは要領を得てできた
それはもう見事にできて人気者
40代になって、赤ちゃんに還るようにほんとうにもうやりたくなくなった
わからなくなってきたから海のそばに引っ越す
自分のエネルギーが変わってきたから
もう少ししたら
ブログも変わるかもしれない
おやすみなさい