先日、海で、3年ぶりぐらいに関西に住む男友達に会った。


中村に来てたことはSNSで見て知ってたけど、あえてお互い連絡取ることもなく、ほんと、バッタリ昼過ぎの海で会った。


彼はうちが関西にいる時からの友達で、中村に引っ越ししてからも家に泊まりに来てくれたり、全然気を遣わない人。


3年前に会った時、彼の母親がガンなって亡くなったのを本人から聞いた。


年齢がうちより6歳も下で、母親を亡くす。


ショックだっただろうし、ガンで死ぬ人を目の当たりにしたからか、うちの乳がんのこともすごく心配してくれた。



で、今回。


「実は、5月に父親も死んだんですよ」


って話してくれた。


「えー!マジで?なんで、どこのガン?」


聞いたけどあんまり聞いたことのないガン。肺の膜にできるガン?かなんか…


彼は家を引き払い実家に戻り、入院しない父親の介護を家でずっとしていたらしい。そしてガンでなく、突然の心不全で亡くなった、と。心臓も悪かったらしい。



彼はうちに言った。



「鬱にならんかったん?」



そんな言葉をかけてもらえたのは初めてだった。

病気すると大概、体の心配はされるけど、メンタル(心)の心配はされたことがない。


彼は、病気で苦しむ両親を目の当たりにしていて、父親がガンになり、鬱になっていく姿をみたから、そんな言葉をかけれたのだろう。


「日々戦いやでー」


病気も克服してるんじゃないかと勘違いされるほど元気に見えるうちも、毎日変化する体調に振り回されている。そして、体調と同時にメンタル(心)も落ちていく。落ちていかないわけがない。


しんどくても頼る人も居ないから一人で乗り切るしかないし、自分の身体の反応にどう対処していくかもその都度考えて生きている状態。


やりたいことがあるのに、体調悪い日は動けない。

それがほんとストレスで泣きたくなる時あるし、一日中寝たきりの日なんか息しかしてなくて生きてる価値もないとまで考えてしまう。


「よく、鬱にならんすね」


うちは鬱になりえたかもしれたいけど、サーフィンとヨガでなんとかそれを乗り越えていってるんじゃないかと思っている。



今年の冬、体調悪くてサーフィンもできなかった時、毎日家で引きこもりだったある朝、波乗り仲間から「朝陽が綺麗だから、それだけでも見においで」って連絡が来た。それと同時に他の仲間から「夜行虫の光でサーフィンできたよ」っていう信じられない連絡が来た。「彼らしい」とちょっと笑った後2人からのその連絡に涙が止まらなかった。


仲間の優しさと、そして、仲間に会いたい気持ちと、しんどいからといって引きこもってても何も良くならないと気付いた。



家で寝てたら肉体は休まるかもしれないけど、心が病んでいくのがわかる。考えもネガティブになり、ろくなことを考えなくなる。



それに気付いてから、しんどくてもとりあえず海に行くことにした。サーフィンするかどうかはその場で決める。



朝陽を見てみんなと喋っただけで帰る日も多々あったけど、気持ちが全然変わった。


ホルモンが出てないせいでリウマチみたいに手が曲がらなくしかも痛くて、重たい物が持てなくて、サーフボードを仲間が持ってくれたり、そんなちょっとした事ができない事も自分では信じられないし許せなかった。


できてたことができない



そんな体になってしまった自分のメンタルは本当に押し潰されそうだった。




けど、周りの人からはそこには気付かれなかった。




唯一、両親をガンで亡くした彼だけが言葉をかけてくれた。





嬉しかったし、改めて自分がなぜここを乗り越えてこれたのか考えさせられた。



ヨガとサーフィン



この2つに間違いない。

ヨガだけではダメで、サーフィンだけでもダメ。

うちにはこの2つのバランスが必要だった。



それらがうちにとって好きな事だからではなく、これら2つには、誰もが病気を乗り越えることができる要素が詰まっていると思う。




彼自身は健康だけど、両親の死を目の当たりにした彼の人生はものすごい衝撃だっただろうし、健康に生きている人よりも深い経験をさせられただろうと思う。

あと、病気している両親の気持ちをわかってあげられなかったのがつらかったと言っていた。


うちもこんな経験したくないけど、これがなければ気づかなかったこともあるし、わかってあげれなかったこともあると思う、肯定的に考えるとね。



彼の気遣いが嬉しかったし、うちにそうゆう友達がいたのが嬉しかった。



彼とは海での立ち話しかできなかった。


「美味しいもんご馳走するからまた中村に来てな」


って連絡すると、


「ご馳走してもらいたいからまたすぐに会いに行くよ」


って返事がきた。




うちは親の死を目の当たりにしてないから、彼の気持ちと同じにはなれないけど、お互いの死生観を話できるような気はする。





メメントモリ


毎日、死を想って生きる



健康な彼もきっと神様から病気の私と同じような考えを持たされただろうなと思う。