【チベット死者の書】04 閻魔大王の裁き 第一部 | 宇宙の叡智を降ろすブログ

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数秘チャネリング鑑定をしています。

カルマ・リンパが発掘したのは『チベット死者の書(正しくは、寂静尊と憤怒尊の体系の一部)』だけではなく、

『蓮の寂静尊と憤怒尊』という教典も発見していました。

 

しかし、これは現存しておらず、何が書かれていたのかは、わかっていません。

 

ただ、この教典から作られたとされる劇は、

現代でもチベット仏教の文化圏の祭で講演されています。

 

 

またこの『蓮の寂静尊と憤怒尊』の内容は、

予言では、カルマ・リンパがすぐに弟子に教えても良いとされていました。

 

チベット死者の書は、三代継承した後で、はじめて世に出してもよいということだったので、

『蓮の寂静尊と憤怒尊』の内容は、最初に学ぶべき内容だったのでしょう。

 

 

実際、私もこの部分を記事にするつもりはなかったのですが、

上から、この記事から始めるように言われました。

 

ここから数回にわたって、

閻魔大王の裁き(ラクシャー・マンチャム)について書いていきます。

 

 

 

 

チャム

最初に、チャムについて語らねばなりません。

 

チャムは、チベット仏教の文化圏で行われる仮面舞踊であり、とてもパワフルな宗教儀式です。

 

その起源として、パドマサンバヴァが、サムイェー寺建立の際におこなわれたのがはじまりとされています。

以後、祭、つまりは仏教儀式で、1200年間以上、現代までつづいて行われています。

 

出典:Laymen Dancers, "Dance of the Drummers from Dramitse" (dGra med rtse rnga 'cham), Paro Tshechu (tshes bcu), 4th day | Mandala Collections - Images

ラクシャー・マンチャムのワンシーン。
踊るラクシャー達。

 

 

チャムは、僧侶が仮面を被り神と一体化して踊るものです。

これにより死後の世界(バルド)を再現し、マンダラを形成する修法でした。

 

また敵を調伏する呪法でもあるため、国が奨励し、執りおこなわれていました。

 

 

踊る前に、僧侶は観想し、自分が演じる神と一体化します。

その為、心がけを間違っていたり、やり方を違えると、死の危険があるとして恐れられていました。

それだけ重要な儀式だったのです。

 

 

また、多くの観客が集まるため、一般の人々に、

仏教の教えと、バルドの世界を現世で再現して見せるという意味もあったのです。

 

ここで取り上げるのは、カルマ・リンパの埋蔵経が元になったとされる劇ですが、

他にもさまざまな演目があるようです。

 

 

 

 

閻魔大王の裁き(ラクシャー・マンチャム)

閻魔大王の裁き(ラクシャー・マンチャム)は、

現代でもパドマサンバヴァの記念する毎年10日のツェチュ祭で演じられます。

 

演目は約二時間からなり、

閻魔大王が悪人を裁く第一部と、

閻魔大王が善人を裁く第二部に分かれています。

 

 

現在は、観光資源の一部にもなっていて、チャムで検索すると旅行記や写真などが沢山でてきます。

 

『ブータンの旅(7)~トンサ・ツェチュ ラクシャ・マンチャム(閻魔大王の裁きの物語)~』トンサ(ブータン)の旅行記・ブログ by トンガリキさん【フォートラベル】

フォートラベルの旅行記。

 

『Raksha Mangcham || Dance of Intermediate stage between death and birth || Gangtey Tshechu - YouTube』

 

 

長くなるので、この記事で第一部を、

明日の記事で第二部を語り、

それから閻魔大王とのチャネリングとつづけていきます。

 

 

 

第一部 悪人の死と裁き

舞台の状況

 

死後の世界、バルドが舞台である。

閻魔大王は、僧侶が一体化することは危険だとされているので、巨大な仮面と竹かごでつくられることが多い。

怒り形相で、大きな王座に座っている。

右手には死者が発生したことを知らせる木の板、左手には死者の行いを余さず映す浄玻璃鏡を持っている。

 

彼の従者、の神と呼ばれる動物神達がいる。

リーダーは牛頭の神で、黒い投げ縄を持っている。

さらに、猿頭や蛇頭などの全部で18のの神(動物神)が威厳を持って立っている。

 

良心の白神は、白い仮面と白い絹の衣を身にまとい、白い小石が入った鉢を持っている。

悪心の黒神は、黒い仮面とガウンを身につけ、黒い小石が入った鉢を持っている。

 

舞台の中央には、白いカーペットと黒いカーペットが敷かれている。

白いカーペットの先には、浄土をあらわす観音菩薩の衣装を着た二人が座っている。

黒いカーペットの先には、地獄をあらわす暗い部屋の扉へと続いている。

 

舞台の隅に、悪人が隠れている。

 

 

 

 

閻魔大王が死のサインを受け取る

閻魔大王:

おお、牛頭の神よ。

人間界で死んだ者がいるぞ。

そのサインが、私の木の板にあらわれた。

 

牛頭の神:

蛇頭の神よ、お前の持つ鏡を見ろ。

この死者はどこから来たのか、名前は何か。

鏡で確認せよ。

 

蛇頭の神:

死者は、インドのタムラドヴィパ国にいる肉屋。

その名前は「悪党ラクサナラカ」。

彼の寿命は今、尽きた!

 

 

牛頭の神と動物神たちは、”悪人”を捕まえるために向かいます。

 

悪心の黒神は、死者の悪行を示す黒い小石の山を背負い、彼を追い詰める。

良心の白神は、死者の善行を示すわずかばかりの白い小石を持ち、彼を助けようとしますが、動物神たちは取り合わない。

 

悪人は逃げ惑うが、最終的に閻魔大王の前に引き出される。

 

 

 

 

閻魔大王の取り調べ

閻魔大王:

お前は誰だ、悪人よ。

どこから来たのか。

何故、私を直接見る勇気がないのか。

お前の善行として何かあるか?

悪行を犯す際、良心の呵責を感じたことはあるのか?

さあ、話せ。

 

 

悪人:

ヤマ王、どうか許しを。

私はただの人間です。

食べるため、生きるために最低限の悪事を犯しました。

しかし、地獄やあの世が本当にあるとは思っていなかったのです。

私の悪行は誤解と無知からおきたものです。

だから、どうか私を裁かないでください。

私を再び人間界へ生まれ変わらせてくれ。

次の生では善行を積むことを誓います。

 

 

 

 

白神の弁護と黒神の告発

良心の白神が前進し、白い絹のスカーフを差し出しながら弁護する。

 

良心の白神:

閻魔大王さま、私の言葉を聞いてください。

この男は迷いと無知のせいで悪事を犯しました。

彼は意図的に悪をおこなったわけではありません。

彼は善いこともおこなっています。

広い川の流れによって孤立した6人を、善意から救ったことがあります。

私はその証として、白い小石を6つ持っています。

他にも、偶然積み重ねた善行もございます。

閻魔大王さま、どうか寛大な慈悲を求めます。

 

そう言うと、良心の白神は、閻魔大王の前で3回礼拝する。

 

 

しかし、悪心の黒神が笑いながら進み出る。

 

 

悪心の黒神:

はっはっはっ!

白神よ、善行の数はたったのそれだけか?

この肉屋は、一生で沢山の悪事をおこなってきた。

この男は、目に入った動物は何でも殺した。

人々に厳しい言葉を投げかけ、

寺院を焼き払い、

聖なる遺物を破壊した。

彼の悪行の証として、この黒い小石でできた山を見ろ!

今、お前の人間界での生が終わったのだ。

東インドの人々はおまえを「赤い手の肉屋」と呼び、

南インドの人々はおまえを「悪党ラクサナラカ」と呼び、

西インドの人々はおまえを「黒いカーストの肉屋」と呼び、

北インドの人々はおまえを「すべてを殺す黒い者」と呼ぶ。

 

肉屋として生きものを殺しているとき、おまえは幸せそうだった。

肉を食べると、美味しく感じていた。

だが、今はそんなに美味しいと感じるか?

おまえの巧妙で、滑らかに話す舌は、今、何の役に立っている?

 

今、おまえが奪った百万の動物の命に対する報復として、

苦しみを経験する時が来た。

悪行の結果として、地獄へ行くのだ!

 

 

悪心の黒神は、悪人に向かって続ける。

 

 

悪心の黒神:

お前はどれだけの生き物を殺した?

お前の罪の報いは、逃れられない。

お前は地獄へ行くのだ!

 

 

悪人は震え上がり、恐怖に打ち震える。

 

 

 

 

判決

閻魔大王が立ち上がり、重々しく宣言する。

 

 

閻魔大王:

悪人よ、自らの行いは、自分に返ってくるのだ。

私は、善行を褒め称え、悪行を罰するのが仕事。

お前は悪行の結果として、地獄へ行くのだ!

 

 

牛頭の神が進み出て、悪人を捕まえる。

 

牛頭の神:

後悔してももう遅い。

お前のカルマの結果、お前は地獄行きだ!

 

 

悪人は叫びながら、牛頭の神に引きずられて黒いカーペットを進んでいく。

黒いカーペットの先は地獄である。

 

 

 

 

第一部の解説

解説役の僧侶が舞台の中央に進み出て、観客に向かって語りかける。

 

集まった善い人々よ!

悪行を犯すと、このような運命が待っている。

私たちがどのような未来を迎えるかは、自分の行動次第だ。

日々、善を追求し、悪を避けることが大切なのです。

 

 

第二部へつづく

 

 

参考文献

木村理子. ブータンのチャムと密教圏のチャムとの比較考察-ブータン王国のゾンのチャムから考えるチャムの「疑似体験」と「聖と俗の境界」-.

Gyurme Dorje. The Tibetan Book of the Dead: First Complete Translation.