カルマ・リンパが発掘したのは『チベット死者の書(正しくは、寂静尊と憤怒尊の体系の一部)』だけではなく、
『蓮の寂静尊と憤怒尊』という教典も発見していました。
しかし、これは現存しておらず、何が書かれていたのかは、わかっていません。
ただ、この教典から作られたとされる劇は、
現代でもチベット仏教の文化圏の祭で講演されています。
またこの『蓮の寂静尊と憤怒尊』の内容は、
予言では、カルマ・リンパがすぐに弟子に教えても良いとされていました。
チベット死者の書は、三代継承した後で、はじめて世に出してもよいということだったので、
『蓮の寂静尊と憤怒尊』の内容は、最初に学ぶべき内容だったのでしょう。
実際、私もこの部分を記事にするつもりはなかったのですが、
上から、この記事から始めるように言われました。
ここから数回にわたって、
閻魔大王の裁き(ラクシャー・マンチャム)について書いていきます。
チャム
最初に、チャムについて語らねばなりません。
チャムは、チベット仏教の文化圏で行われる仮面舞踊であり、とてもパワフルな宗教儀式です。
その起源として、パドマサンバヴァが、サムイェー寺建立の際におこなわれたのがはじまりとされています。
以後、祭、つまりは仏教儀式で、1200年間以上、現代までつづいて行われています。
ラクシャー・マンチャムのワンシーン。
踊るラクシャー達。
チャムは、僧侶が仮面を被り神と一体化して踊るものです。
これにより死後の世界(バルド)を再現し、マンダラを形成する修法でした。
また敵を調伏する呪法でもあるため、国が奨励し、執りおこなわれていました。
踊る前に、僧侶は観想し、自分が演じる神と一体化します。
その為、心がけを間違っていたり、やり方を違えると、死の危険があるとして恐れられていました。
それだけ重要な儀式だったのです。
また、多くの観客が集まるため、一般の人々に、
仏教の教えと、バルドの世界を現世で再現して見せるという意味もあったのです。
ここで取り上げるのは、カルマ・リンパの埋蔵経が元になったとされる劇ですが、
他にもさまざまな演目があるようです。
閻魔大王の裁き(ラクシャー・マンチャム)
閻魔大王の裁き(ラクシャー・マンチャム)は、
現代でもパドマサンバヴァの記念する毎年10日のツェチュ祭で演じられます。
演目は約二時間からなり、
閻魔大王が悪人を裁く第一部と、
閻魔大王が善人を裁く第二部に分かれています。
現在は、観光資源の一部にもなっていて、チャムで検索すると旅行記や写真などが沢山でてきます。
『ブータンの旅(7)~トンサ・ツェチュ ラクシャ・マンチャム(閻魔大王の裁きの物語)~』トンサ(ブータン)の旅行記・ブログ by トンガリキさん【フォートラベル】
フォートラベルの旅行記。
『Raksha Mangcham || Dance of Intermediate stage between death and birth || Gangtey Tshechu - YouTube』
長くなるので、この記事で第一部を、
明日の記事で第二部を語り、
それから閻魔大王とのチャネリングとつづけていきます。
第一部 悪人の死と裁き
舞台の状況
死後の世界、バルドが舞台である。
閻魔大王は、僧侶が一体化することは危険だとされているので、巨大な仮面と竹かごでつくられることが多い。
怒り形相で、大きな王座に座っている。
右手には死者が発生したことを知らせる木の板、左手には死者の行いを余さず映す浄玻璃鏡を持っている。
彼の従者、の神と呼ばれる動物神達がいる。
リーダーは牛頭の神で、黒い投げ縄を持っている。
さらに、猿頭や蛇頭などの全部で18のの神(動物神)が威厳を持って立っている。
良心の白神は、白い仮面と白い絹の衣を身にまとい、白い小石が入った鉢を持っている。
悪心の黒神は、黒い仮面とガウンを身につけ、黒い小石が入った鉢を持っている。
舞台の中央には、白いカーペットと黒いカーペットが敷かれている。
白いカーペットの先には、浄土をあらわす観音菩薩の衣装を着た二人が座っている。
黒いカーペットの先には、地獄をあらわす暗い部屋の扉へと続いている。
舞台の隅に、悪人が隠れている。
閻魔大王が死のサインを受け取る
閻魔大王:
おお、牛頭の神よ。
人間界で死んだ者がいるぞ。
そのサインが、私の木の板にあらわれた。
牛頭の神:
蛇頭の神よ、お前の持つ鏡を見ろ。
この死者はどこから来たのか、名前は何か。
鏡で確認せよ。
蛇頭の神:
死者は、インドのタムラドヴィパ国にいる肉屋。
その名前は「悪党ラクサナラカ」。
彼の寿命は今、尽きた!
牛頭の神と動物神たちは、”悪人”を捕まえるために向かいます。
悪心の黒神は、死者の悪行を示す黒い小石の山を背負い、彼を追い詰める。
良心の白神は、死者の善行を示すわずかばかりの白い小石を持ち、彼を助けようとしますが、動物神たちは取り合わない。
悪人は逃げ惑うが、最終的に閻魔大王の前に引き出される。
閻魔大王の取り調べ
閻魔大王:
お前は誰だ、悪人よ。
どこから来たのか。
何故、私を直接見る勇気がないのか。
お前の善行として何かあるか?
悪行を犯す際、良心の呵責を感じたことはあるのか?
さあ、話せ。
悪人:
ヤマ王、どうか許しを。
私はただの人間です。
食べるため、生きるために最低限の悪事を犯しました。
しかし、地獄やあの世が本当にあるとは思っていなかったのです。
私の悪行は誤解と無知からおきたものです。
だから、どうか私を裁かないでください。
私を再び人間界へ生まれ変わらせてくれ。
次の生では善行を積むことを誓います。
白神の弁護と黒神の告発
良心の白神が前進し、白い絹のスカーフを差し出しながら弁護する。
良心の白神:
閻魔大王さま、私の言葉を聞いてください。
この男は迷いと無知のせいで悪事を犯しました。
彼は意図的に悪をおこなったわけではありません。
彼は善いこともおこなっています。
広い川の流れによって孤立した6人を、善意から救ったことがあります。
私はその証として、白い小石を6つ持っています。
他にも、偶然積み重ねた善行もございます。
閻魔大王さま、どうか寛大な慈悲を求めます。
そう言うと、良心の白神は、閻魔大王の前で3回礼拝する。
しかし、悪心の黒神が笑いながら進み出る。
悪心の黒神:
はっはっはっ!
白神よ、善行の数はたったのそれだけか?
この肉屋は、一生で沢山の悪事をおこなってきた。
この男は、目に入った動物は何でも殺した。
人々に厳しい言葉を投げかけ、
寺院を焼き払い、
聖なる遺物を破壊した。
彼の悪行の証として、この黒い小石でできた山を見ろ!
今、お前の人間界での生が終わったのだ。
東インドの人々はおまえを「赤い手の肉屋」と呼び、
南インドの人々はおまえを「悪党ラクサナラカ」と呼び、
西インドの人々はおまえを「黒いカーストの肉屋」と呼び、
北インドの人々はおまえを「すべてを殺す黒い者」と呼ぶ。
肉屋として生きものを殺しているとき、おまえは幸せそうだった。
肉を食べると、美味しく感じていた。
だが、今はそんなに美味しいと感じるか?
おまえの巧妙で、滑らかに話す舌は、今、何の役に立っている?
今、おまえが奪った百万の動物の命に対する報復として、
苦しみを経験する時が来た。
悪行の結果として、地獄へ行くのだ!
悪心の黒神は、悪人に向かって続ける。
悪心の黒神:
お前はどれだけの生き物を殺した?
お前の罪の報いは、逃れられない。
お前は地獄へ行くのだ!
悪人は震え上がり、恐怖に打ち震える。
判決
閻魔大王が立ち上がり、重々しく宣言する。
閻魔大王:
悪人よ、自らの行いは、自分に返ってくるのだ。
私は、善行を褒め称え、悪行を罰するのが仕事。
お前は悪行の結果として、地獄へ行くのだ!
牛頭の神が進み出て、悪人を捕まえる。
牛頭の神:
後悔してももう遅い。
お前のカルマの結果、お前は地獄行きだ!
悪人は叫びながら、牛頭の神に引きずられて黒いカーペットを進んでいく。
黒いカーペットの先は地獄である。
第一部の解説
解説役の僧侶が舞台の中央に進み出て、観客に向かって語りかける。
集まった善い人々よ!
悪行を犯すと、このような運命が待っている。
私たちがどのような未来を迎えるかは、自分の行動次第だ。
日々、善を追求し、悪を避けることが大切なのです。
第二部へつづく
参考文献
木村理子. ブータンのチャムと密教圏のチャムとの比較考察-ブータン王国のゾンのチャムから考えるチャムの「疑似体験」と「聖と俗の境界」-.
Gyurme Dorje. The Tibetan Book of the Dead: First Complete Translation.