前回からの続きで、チベット死者の書がどのように発見されたのかです。
ガンポダル山
カルマ・リンパが、埋蔵経を発掘したのは、
ガンポダル山(Mount Gampodar)です。
どこなのかとGoogle mapで調べたら、チベットの南東の山脈でした。
(これ、現在は、中国語表記になっているので、なかなか調べるのが大変でした。)
マークのついている所がダクラハ・ガンポ僧院で、この僧院の回りがガンポダル山です。
ということなので、このあたりがガンポダル山のようです。
いやはや山だらけですごいところ😅(標高約5,300m)
なお日本人や西洋人が訪ねた旅行記などはネット上では発見できませんでした。
(後日、山への道中を書いている記事を発見しました)
ダクラハ・ガンポ僧院
出典:達拉崗布寺
ダクラハ・ガンポ僧院。
ガンポダル山にある僧院で、標高4,150mの山頂に建てられています。
この僧院は、カギュ派の宗主ミラレパの弟子ガンポパによって1135年に建立されました。
チベット四大宗派のひとつのカギュ派は、チベット仏教の中でもっとも密教色が濃い、
つまり呪術的でした。
仏教の教えと共に、死後の意識の転移法、夢を操る技法、クンダリーニと同じ性エネルギーを上昇させ解脱する技法などなどが伝えられています。
そしてカギュ派の二系統のひとつダクポ・カギュー派はここから始まりました。
当時はここはかなり発展していたカギュ派の修行拠点だったのでしょう。
おそらくカルマ・リンパもここで修行していたのかな、と思います。
僧院は、1959年の文革で破壊されたが、その後、修復されました。
記事によれば、8人程度の僧侶が修行しているそうです。
カルマ・リンパの系譜
出典:『The Tibetan Book of the Dead: First Complete Translation』
カルマ・リンパ
さて、そんな聖地でもあり、秘境の修行地でもある場所で、カルマ・リンパは埋蔵経の発見したのです。
ただ、同じ予言で示されていた女性とは結ばれなかったため、人々から悪く言われました。
また、カルマ・リンパには一人の息子がいましたが、
その息子は『寂静尊と憤怒尊の体系』を伝える時期より前に、他人に見せてしまったため、命の危機があったと言われています。
カルマ・リンパは多くの聖人としての特徴と能力がありました。
そこで、自分が早くに亡くなることを察知し、さまざまな予言を残したといわれています。
(これについては、書かれていません。)
死期が迫ると、カルマ・リンパは以下のよう言って、息子に托しました。
「息子よ、誓約を守り、ニンダという名前の聖者にこの教えを託しなさい。
彼は、すべての生きものの幸せに貢献するでしょう!」
したがって、
初代の継承者は、カルマ・リンパの息子、ニンダ・チョジェです。
2代目の継承者は、ニンダ・オゼルです。
3代目の継承者のギャラワ・ナムカ・チョキ・ギャツォです。
彼がカルマ・リンパの埋蔵経を初めて公にして、教えました。
これによりカルマ・リンパの埋蔵経は、チベット中に広がっていきました。
カルマ・リンパの埋蔵経
最後に、カルマ・リンパの埋蔵経の内容について簡単に説明します。
預言によれば、
カルマ・リンパは『蓮の寂静尊と憤怒尊』を弟子に伝えても良いとされています。
この教典は、現在失われており、どのような内容かはわかっていません。
しかし、これを元にした劇が残っており、その内容は閻魔大王による死後の裁きの劇です。
おそらく、教訓的な話で、一般人が知っても問題ないということで、最初に伝えてもよいとされたのでしょう。
(この次の記事から、この劇については書いていきます。)
次に、教えを三代にわたって継承させた後、さらに7年経つと、
『バルドで聞くことによる解脱』(チベット語ではバルド・トドゥル)を教えてもよいとされています。
この内容は、死の瞬間、死後の世界(バルド)の世界、転生する子宮に入るまでについて語っており、
死ぬ時、または死後の世界で悟る方法について説かれています。
これが英訳され『チベット死者の書』として世界に紹介されることになりました。
『バルドで聞くことによる解脱』は130ページ。
大抵、これに関連する祈りを含めても150ページ程度の長さです。
さらに9年後には、最後に残った、『寂静尊と憤怒尊の体系』を公で教えても良いと預言は言っていました。
正式名称は、サプチュウ・シト・ゴンパ・ランドル。
『深遠なる御教え・寂静尊と憤怒尊を瞑想することによるおのずからの解脱』
長いのでこのブログでは短く『寂静尊と憤怒尊の体系』とします。
これは約1500ページからなる教典で、悟りについてのさまざまなことが書かれています。
この教典で特徴的なのは、死と、死後の世界(バルド)、再誕生について書かれていること。
仏を寂静尊と憤怒尊に分け、これらが私たちの意識そのもの、また身体の一部だとして瞑想し、それによって解脱する方法が説かれています。
他にも、死の兆候や、不意の死を避ける方法、数多くの祈りの言葉が書かれています。
この中に『バルドで聞くことによる解脱』も含まれています。
一般的に、『チベット死者の書』=『バルドで聞くことによる解脱』
だけが広まっているために、死後の世界についての書だと思われているのですが、
教典全体を通して理解すれば、もっと深遠な悟りについて書かれているのです。
もっとも、『寂静尊と憤怒尊の体系』はチベット語のみで、英語にも翻訳されていません。
以下の『チベット死者の書:初の完全翻訳版』は、
『バルドで聞くことによる解脱』の本文のみならず、
死後の世界に関連する章を『寂静尊と憤怒尊の体系』から持ってきています。
それでも1500ページの内、500ページほどしか英訳されていません。
つまり何が言いたいのかというと、『チベット死者の書』は死後の世界について語っているだけではなく、
より大きな教典のひとつであり、そのことを意識して読まないと、本当の意図はわからないということなのです。
寂静尊と憤怒尊
寂静尊とは私たちが知っている穏やかな仏さまです。
ただし、チベット仏教では男女両仏(ヤブユム)というなかなかセクシャルな姿であらわれることが多いです。
これらはハートに位置し、慈悲によって人々を悟りに導きます。
憤怒尊は、日本で言うと不動明王の様な、恐ろしい仏さまです。
憤怒尊は寂静尊が姿を変えた別形態です。
穏やかに説いてもわからない人々を、そのパワフルな力によって悟らせようとします。
参考文献
出典:100 Bardo Deities Thangka | 42 Peaceful & 58 Wrathful Deities of Intermediate State(寂静尊と憤怒尊の画像元)