この記事は後編です。
『イェベン・コノバレッツ中編』からお読みください。
UVOのテロ活動
UVOのリーダーに就任したコノバレッツは、完全に状況が変化したのを理解していました。
UVOメンバーは2000人ほどで、とても正面からの軍隊同士の戦いでは歯が立ちません。
UVOは、目標をガリツィア地方の独立に限定します。
UVO上層部は、ドイツ、チェコスロバキア、オーストリアにおかれ、ドイツの諜報機関アプヴェーアから資金と訓練の援助を受けていました。これはナチスが政権を取った後も続きました。つまりUVOは完全なテロ組織なのです。
UVOは、ポーランド人農家へのテロ活動を開始します。UVOが1922年に行った攻撃は、ポーランド農家へ2300回、武装したポーランド軍・警察へはたった17回でした。
UVOは、農場を襲撃して物資を調達し、人々を殺し、作物を燃やしました。
活動は過激になっていき、資金調達の為に銀行や郵便局を襲いました。放火、電信線の切断、爆弾テロ。
時に彼らは、穏健なウクライナ民族主義者でさえも、十分に愛国的でないことを理由として殺害しました。(ウクライナ民族主義者組織 - Wikipedia)(ウクライナの軍事組織-ウィキペディア)(ウクライナの軍事組織-ウィキペディア。)
1920年代のガリツィア地方の農家。
1920年代のガリツィア地方の教会。
出典:Right to left: Sofia Halechko, Hanna Dmyterko, Vasyl Ratych, theologian Paliukh
ウクライナ民族主義者組織(OUN)
ウクライナ独立勢力を一堂にまとめ上げる組織として、ウクライナ民族主義者組織(OUN)が設立され、そのリーダーとしてコノバレッツが選出されました。巨大になった彼の権力を考えるとそれは当然なことでした。
- ウクライナ国民協会
- ウクライナ・ファシスト連合
- ウクライナ解放同盟(ポジェブラディ、チェコスロバキア)
- ウクライナ国民青年グループ(プラハ)
- ウクライナ民族主義青年連合(リヴァウ)
コノバレッツはOUNの方針として、過去の中央議会のまとまりのなさからもたらされたウクライナ人民共和国の消滅を反省として、日和見主義、妥協、平和主義を拒絶します。(ナチズム採用)
OUNの活動範囲は広く、海外に移ったウクライナ移民だけではなく、ドイツ、スペイン、イタリア、フランス、イギリス、日本の政府関係者や諜報機関とつながりがありました。ソ連の支配に苦しむ同胞達の為にもソ連にもその勢力を拡大しようとしていました。
コノバレットの報告によると、「UVOは完全にドイツの諜報機関の影響下にあり、ポーランド、ソ連占領下のウクライナ、その他の国にある諜報機関、プロパガンダ、テロリスト、戦闘部隊を自由に使えるようになっている」とのことです。(Организация украинских националистов — Википедия)
コノバレッツの死
OUN-Mの主要メンバーの 1 人である詩人のオレ・オルジッチは、コノバレットについて書いています。
「それにもかかわらず、彼は普通の人であり、家族を愛し、旅行し、さまざまな人々と共通の言語を見つける方法を知っていました。彼はよく喫煙し、チョコレートが大好きでした。最後の事実は彼の人生に致命的な役割を果たしました。」(Yevhen Konovalts - 130. 組み合わせの芸術: Yevhen Konovalts の肖像画に触れる)
オランダのロッテルダムのホテル・アトランタ。ここでコノバレットは友人(スドプラトフ)と面会し、土産としてウクライナ国旗に包まれたチョコレート缶を受け取った。
宿泊先のホテルへ戻ろうと歩いていたコノバレッツを突然、強い光と強烈な爆風が襲った。チョコレート缶に仕込まれていた時限爆弾が爆発し、近くにいた通行人数名を巻き込んで、コノバレッツの半身は吹き飛んだ。コノバレット46歳であった。(特集:日本陸軍の対ソ工作の文脈におけるウクライナ(Vol.4)|増永 真悟 (博士)/ Shingo Masunaga (Ph.D.)|note)
1935年。ホテル・アトランタ。
暗殺したのは、ソ連の諜報員パヴェル・スドプラトフ。スドプラトフによると、暗殺の命令はスターリンから直接出された。スターリンは彼にこう語ったという。
「コノバレッツはドイツ・ファシズムの代理人だが、これは単なる復讐ではない(1933年のOUNによるソ連総領事暗殺事件のこと)。我々の目的は、戦争前夜にウクライナ・ファシズムの動きを断ち切り、権力闘争の中で、これら「ギャングスター」を互いに消滅させることだ 」。 (パベル・スドプラトフ - ウィキペディア)
暗殺に成功したパヴェル・スドプラトフ。ロシア帝国メリトポール出身(現ウクライナ、ザポリージャ州)。
彼は暗殺の功績により出世。その後もトロツキー暗殺、米国原爆情報作戦など重要事件に関わり、冷戦崩壊後に回顧録を出版した。(パベル・スドプラトフ - ウィキペディア)
コノバレッツの意識との対話
(これは記事を書く前に聞いた話)
フミ:さて、最初の人はコノバレッツか。
これどうまとめたものか?
マイナー過ぎて日本語での情報がほとんどない
そもそも、これ、私がまとめないといけないの🤔?
ダジボーグ:とても大事なことだ。
まとめ方は、本人に聞けばいい。
フミ:・・・なるほど。。。
では、コノバレッツの意識に聞いてみよう。
フミ:あなたのこと、どう書いたらいいでしょうか?
コノバレッツ:(はぁぁぁ。もううんざりといった風)
私は自分の義務を果たしただけで、昨今の持ち上げ方(ウクライナの英雄)にはうんざり極まりない。
できるだけ簡単に書いてくれればいい。
幼少期をできるだけ長く、戦いは少なくていい。
(幼少期を詳しく・・あまり情報はなかったですができるだけ書いて、一方、戦いはかなり省略しました)
フミ:あなたはウクライナ独立の英雄の一人ですよ?
もてはやされるのは仕方ないのでは。
コノバレッツ:ウクライナは独立した。
ならば他の事を考えるべきだ。
別に、もっと国の基礎を築くことに重点を注ぐべきだ。
私はその時代に必要だと思うことを最大限にやった。
今の時代に必要なのは、
過去を賛美することではなく、
新しいウクライナの現実に対処することだ。
フミ:すごくまともな人だ
優秀な軍人は、まともなんだなぁ
(ここからは記事を書いた後)
フミ:UVO設立から急激にテロ活動をしましたが、それはどうしてでしょうか?
コノバレッツ:私達の生存権の確立に、私達は銃を持つしかなかったのだ。
私の奉仕したい国はなく、我々の居場所を作る為にはポーランド人を殺すよりなかった。
ポーランド人も私の子供時代とは違い、一度戦争をした我々を追い詰めた。
東ではソ連下の支配でホロドモールが起きていた。東はあまりにも酷い状況で、地下組織を作ることすらできなかった。
政治が乱れれば、生き残る為には、他民族を殺さないと生きられない状況もあるのだ。
我々が銃を置いても、生き残ることはできなかっただろう。
調べてみたら、確かにポーランド側の弾圧も酷かったようです。(これは次のステパン・バンデラで取り扱います)
ダジボーグ:彼は良い戦士であり指導者だった。
自分の決断や行動が、必ずしも正しいことだとは思ってはいなかったが、だからといって己の行いを恥じるわけでもない。
実に理想的な戦士だ。
フミ:なるほど。確かに彼の指導力は、後生の脚色があるにしても、確かに英雄的です。
彼の数秘は3です。それが彼のコミュニケーション能力の高さと、人気の秘訣でしょう。
要所要所で戦うことを選択するより、なるべく人の仲を取り持つことを優先するのも3の特徴です。
一方、3はタフな数字ではないのに、過剰なまでのストレス(テロ組織のリーダーのストレスとはいかほどか?)、極めて現実的に行動できたのは称賛に値します。
明日は、ウクライナ民族主義最大の英雄、ステパン・バンデラになります。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20220627/16/fumi303/18/28/p/o0160016015139039356.png?caw=800)
今回のチャネリング相手:太陽神ダジボーグ
スラブ神話の神慈悲深い太陽神。万物の創造主スヴァローグの子。
その名は文字通り『与える神』(Dazh[命令型]+bog[幸福、反映])を意味している。黄金の翼をもつ4頭の白馬が引く戦車で空を横切り、『火の盾』で陽光を創り出した。彼はまた豊穣神でもあったから、人々は自らを誇り高く「ダジボーグの孫」と呼んだ。