ルーシ建国 古代神と見るウクライナ史3 | 宇宙の叡智を降ろすブログ

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ルーシの建国(AD882)

『原初年代記』 には以下の様に書かれている。

 

 

当時のスラブ人達はお互いに争い合い、疲弊していました。

そこでスラブ人達は、当時繁栄していた、北方のヴァイキングにメッセージを送りました。

 

 

「我らの国は大きく豊かだが秩序がない。我らのところへ来て、支配してほしい」

 


862年、ヴァイキング、リューリクとその仲間がやってきてきました。そしてスラブ人の町ノヴゴロドを支配し、そこにリューリク朝を打ち立てました。

 

 

 

882年、リューリクの後継者オレーグは公座をノヴゴロドからキエフに移し、『ルーシ』(キエフ大公国)を建国します。

 


『ノヴゴロド公オレーグ』

 

 

 

フミ:リューリクは文献にのみ登場する人物とする説もありますが、実際はどうだったのですか?

 

ダジボーグ:もちろんそんな人物はいなかった

お話だよ。

だが、オレーグはいた。
ただ彼も強い首長であり、

それでも、全体の統治者ではなかったんだ。

 


ダジボーグ:もちろん当時の人々が、ヴァイキングを呼んで支配してもらったわけではない。

普通にヴァイキングに征服されたのだ

争い疲れる民族に、そのような知恵があったのならば、最初から協力し合っていただろう?

 

 

フミ:確かにそうですね

しかし、これは古事記の国譲りと同じですね。

昔の神話の流行なのでしょうか?

 

 

ダジボーグ:人間というものが共通の意識で動いているひとつの証拠だと思えば良い。

新しい概念が注入されなければ、人間というのはある程度同一性を保つのだよ。

これはキリスト教徒が考えた話ではなく、現地で語られていた建国神話なのだ。

 

 

 

 

ルーシ(AD882-AD1240)

 

ヴァイキングを支配層として『ルーシ』は建国されましたが、スラブ人の方がずっと数が多く、ヴァイキング達は次第にスラブ人と同化していきました。

 

 

12世紀から13世紀にかけての『ルーシ』。

 

 

『ルーシ』は、キエフが一番大きな公国でしたが、いくつかの公国と都市国家のゆるやかにつながりであり、中央集権ではなかった。キエフ大公国 - Wikipedia

 

ダジボーグ:国と言っても、都市国家の集合体で、民族同士で争いあっていた。

昔からずっとこの土地はそうなのだ。

民族で固まり、お互いに信用せず、常に争い合うのだ。

 

 

現代のウクライナ紛争もその焼き直しなのだ。

 

 

「同じルーシ人だから」と言う場合、それは征服者の言葉なのだ。

心から、統一されたことはなかった。

逆に言えば、特に戦争をする理由や原因を探す必要もないのだ。

 

 

フミ:ウクライナ紛争で、プーチンが悪い!ウクライナの方が仕掛けた!というのは、ちょっと違うと言うことですか?

 

 

ダジボーグ:もちろん、どんなことにも理由はある。

当時だって家畜の数や結婚式の贈り物で殺し合っていたのだから、理由はあったよ。

しかし、争うのが伝統になっているとも言える。

1500年前なら、ゼレンスキーとプーチンが嫁の取り合いで戦争していただろう。

そういう土地なのだ。

 

 

 

 

現代の3国家のルーツ『ルーシ』

 ベラルーシ、ロシア、ウクライナの現代国家は、いずれも『ルーシ』(日本ではキエフ大公国)を文化的祖先としています

 

 

ベラルーシ(Belarus)と、

ロシアRussia)は

ルーシ(Rus)に由来しています。

 

 

ウクライナの国章は、リューリク朝のキエフ大公ヴォロディミル1世の紋章が使われています。

出典:リューリク朝の紋章 - Wikipedia

 

フミ:こういうのは島国日本としては、なかなか理解ができない感覚ですね。

 

 

ダジボーグ:そんなこともないだろう。日本とてかつては群雄割拠していたではないか。

 

 

フミ:戦国時代は400年以上も昔。明治維新前までなら150年前ですねウインク

 

 

ダジボーグ:隣の朝鮮半島も二つに割れているじゃないか。

ルーシ3国が別れている理由は、歴史的経緯もあるが、現在の分裂・戦争している理由はこうだな。

  1. 元々身内同士で争い合う土地柄
  2. 西側とロシアの政治的対立
  3. 重要な地ウクライナの特別性
  4. ナチズム
調べていけば、どれもわかってくることだ。

 

 

 

 

 

自然の神々からキリスト教へ

ルーシ建国から100年後。ウラジミール大公は、中央集権を進めるため、伝統的な自然崇拝のスラブ神話を辞め、キリスト教を導入します。古い信仰は邪教となって破壊されていきました。

 

 

 

キエフ大公国のウラジミール大公(在位978〜1015年)は、ノヴゴロドにキリスト教を導入すべく、兵士と正教会の司祭を派遣する一方で、ペルーンの木製の偶像を引き倒した。ペルーンは、スラヴの異教のなかでも最も重要な神のひとり。人々は偶像を、路上をあちこち引きずりまわし、棒で打ち叩いて、ボルホフ川に投げ込んだ。
引用:異教時代の神々:古代スラヴ人は誰に祈ったか? - ロシア・ビヨンド

 

 

 

ダジボーグ:これは良いことだったように思う。

当時はまったくと言って良いほど国に統一感がなく、力か打算によって協力していただけだった。

しかし、共通のギリシア正教を導入したことで、ようやく統一感がでてきたのだ。

 

 

フミ:ご自身を否定されたのに、嘆いたりなさらないのですねキョロキョロ

 

 

ダジボーグ:この地のエネルギーは変わっていないからな。

スラブ神話と言えばひとつの神話のように聞こえるが、民族ごとにバラバラだったのだ。

今伝わっているのがまさに書物に残っていたと言うだけで、統一性がまるでなかった。

 

 

ダジボーグ:ギリシア正教が入ってきたのは重要だ。数少ない共通する文化が生まれたからだ。

今残っているのも一部の民族の神話だけであり、各地方で本当にバラバラの神を信じていたのだ。


ダジボーグ:さて次に行く前に、『ズブルチの偶像』について調べなさい。

 

ズブルチの偶像。

 

 

フミ:記事書くときにちらっと見かけましたが、これ重要なんですかキョロキョロ

 

 

ダジボーグ:当時の信仰を知るのに数少ない資料だ

調べれば当時のおおよそのエネルギーが掴めるようになるだろう。

 

 

フミ:それは面白そうですね爆  笑
次の記事はズブルチの偶像にします!

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