先史時代のウクライナ
なぜ歴史を?
出典:Old maps of the Russian Empire and the Soviet Union - Vivid Maps
今回からロシア・ウクライナ、特にウクライナを中心とした歴史を書いていきます。
書くきっかけになったのは前回の記事でウクライナのプロパガンダと断言できなかったこと。
ですがそれ以外にもいくつかの目的があります。
- 古代神と接触する
- 人間本来の性質を学び人間性を回復する
- ウクライナ紛争の原因を知る
- 戦争そのものへの理解
- 日本に蔓延する洗脳からの回復
特に最後が重要です。これらのことを日本の神さまから直接学べなかったのは、「日本の神さまとはこういうものだ」という先入観です。その先入観こそが洗脳なのです。これはワクチンが正しい、マスクが正しいと思い込んでしまったら、何を言われても受け付けなくなるのと同じ事です。
初富:歴史の勉強を通じて理解して欲しいこと。
自身の頭を使い、情報を精査し、知識をエネルギーに転換してこそ、はじめて有用な知恵となります。
ただ情報を闇雲に頭に放り込むから洗脳されるんです。
初富:ロシア・ウクライナの歴史を調べましょう。
どこがプロパガンダ放送であるか、
間違っているか指摘できるようになれば、
この戦争の行く末がわかりますよ。
初富:前回、初富が言ったこう言った理由ですが、頭を使って学習すれば、知恵がつきます。
その知恵で色々と物事がわかるようになるという意味でございます。
ウクライナ先史時代
ヤムナ文化(BC3600-BC2200)
ヤムナ文化は、現在のウクライナに存在した銅器時代の文化圏。
遊牧民の野営の跡と墓所が多く発見されている。牧畜が盛んで、地方によって主たる家畜は違い、牛、羊、山羊などであった。また馬の飼育も定着した時期である。彼らは馬や車で遊牧していたと考えられている。(ヤムナ文化 - Wikipedia)
『ケルノソフスキーの偶像』
BC3000年頃。
ドネプロペトロフスク地方。高さ120cm。
ヤムナ文化ではこのようなクルガン(古墳)に石碑が建てられていた。(クルガンの石碑)(ケルノソフアイドル-ウィキペディア。)
フミ:これは神の石像というのが一般的な仮説なのだが。
私がエネルギーを感じると神さまの神々しいエネルギーではなく、祖先のエネルギー。落ち着いたエネルギーを感じる。
縄目文土器文化(BC2900-BC2400)
縄目文土器文化(Corrded Ware)は、ヨーロッパ北部一帯に広まった文化圏。ヤムナがウクライナならロシアあたりからヨーロッパの西側は縄目文土器文化だった。両文化は遺伝子研究によればかなり似通っていた。
縄目文土器
BC2500年頃。
縄目文土器の石斧
BC2800年-BC2400年頃。(縄目文土器文化 - Wikipedia)
カミヤナモヒラ/石の墓
BC2200-AD1300頃。
カミヤナモヒラ/石の墓は、ウクライナのザポリージャ地方のメリトポリ近くの古代の聖地。ヤムナ文化以降に作られたとされる。68の洞窟に古代の絵画が描かれ、多くの儀式が行われていた。エネルギースポットとされ、ウクライナの七大驚異(観光用に作られたらしいです)のひとつになっている。
現在はロシアが占領中。
上空から。
古代の石造。
洞窟内に刻まれた彫刻。(石の墓)(Terpinnya Sights)
フミ:日本の縄文時代と同じようなものがヨーロッパにもあったんだね
当たり前なんだけどさ。
初富:残っている物だけみると同じかも知れませんが、実際の風景はかなり異なっておりましたぞ
それでも巨石、古墳、先祖崇拝は同じでございますね。このあたりの文化が人間としての基礎にあるというわけですな。
スキタイ(BC800-BC300)
出典:ウクライナの歴史
ウクライナを中心に活動していたイラン系遊牧騎馬民族。
古代ギリシアの歴史家ヘロドトスが著書『歴史』の中で詳しく書いている。
町も城塞も築かず、牛や馬に引かせた幌馬車で移動している民族。
大変強く、一方で敵わないと知れば撤退も早かった。
・・・戦争に関することでは、この国(スキタイ王国)の習慣は次のようである。スキュタイ人は最初に倒した敵の血を飲む。また戦闘で殺した敵兵は、ことごとくその首級を王の許へ持参する。首級を持参すれば鹵獲物の分配に与ることができるが、さもなくば分配に与れぬからである。スキュタイ人は首級の皮を次のようにして剝ぎとる。耳のあたりで丸く刃物を入れ、首級をつかんでゆすぶり、頭皮と頭蓋骨を離す。それから牛の肋骨を用いて皮から肉をそぎ落とし、手で揉んで柔軟にすると一種の手巾ができあがる。それを自分の乗馬の馬勒にかけて誇るのである。この手巾を一番多く所有する者が、最大の勇士と判定されるからである。またスキュタイ人の中には、剥いだ皮を羊飼いの着る皮衣のように縫い合わせ、自分の身につける上着まで作るものも多い。・・・・首級そのものは次のように扱う・・・。眉から下の部分は鋸で切り落とし、残りの部分を綺麗に掃除する。貧しい者であれば、ただ牛の生皮を外側に張ってそのまま使用するが、金持ちであれば牛の生皮を被せた上、さらに内側に黄金を張り、盃として用いるのである。・・・<ヘロドトス/松平千秋訳『歴史』中 1972 岩波文庫 p.40-41>
(修飾・強調引用者)引用:スキタイ
フミ:日本でも戦争で首切ってたけど、昔はどこでも首下げてたんだね。
初富:わかりやすいですからな。
フミ:しかし、下のように優れた細工ができても文字がなかったんだねぇ
初富:文字の有無については、頭の使うところが違うのですよ。逆に言えば騎馬民族はそれだけ騎馬兵が技術の最先端であって、それだけで十分他の国に対抗できたわけです。文字がなくても技術だけで
スキタイは金属加工に優れていたが、彼らは文字をもたなかったので、今ではよくわかっていない。
エルミタージュ博物館所蔵の黄金製の櫛。
トヴスタ・モヒーラ古墳で発見された女性の胸飾り。(スキタイ - Wikipedia)(ウクライナの歴史 - Wikipedia)
スキタイは強力であったが、やがてサルマート人(イラン系遊牧民族)によってクリミアへ追い詰められ滅ぼされた。
遊牧騎馬民族の代名詞となる。
現代からの視点
現代のウクライナ人は、イラン系のスキタイを「自分たちの歴史」としてみなしていないようだ。どうも自分達を西洋ヨーロッパ人として定義して、アジアの血が混じったロシア人とは違うと思いたいようだ。
一方、現代ロシア人は、スキタイをヤムナ文化から継承者として考えている。
まとめ
初富:ヤムナ文化からしてインド・アーリア語族だったとも言われております。つまりウクライナあたりはインドとアーリア(現イラン)あたりとヨーロッパ原住民との混血なのです。それが現スラブ人だと言えますね。
フミ:さらに歴史を見ていくと混血度が深まっていったのか。
初富:そもそも純粋な血などないのでは?
黒人、白人、黄人、それは長年の民族的な日焼けでございましょう。
重要なのは土地のエネルギーです。これによって遺伝子も変化しているんですよ。そもそも今の遺伝子学はかなり恣意的なものですよ。
フミ:急に難しい話になってきたぞ
初富:あまり話すと脱線しますが、祖霊の流れ、つまり遺伝子の治療に十分学べれば今回の学習は終わると思いますぞ。
フミ:えっ、これそういう趣旨の話だったの
今回のチャネリング相手:『初富』
千葉県鎌ケ谷市『初富稲荷神社』の狛犬
背中で語る無口なイケメン狛犬。「宇迦之御魂神様に遣えて150年あまり。地元の発展に尽くしてまいりました。」「フミさんはまだまだですが、初富が責任を持って鍛えていきたいと思います。」「皆様も、地元の神社に足繁く参拝されますと神さまの加護がいただけますよ!!」