精霊の王 中沢新一を読む | 宇宙の叡智を降ろすブログ

宇宙の叡智を降ろすブログ

数秘チャネリング鑑定をしています。

宇宙の最新の技術をお届け!チャネラー天同です。

応援のクリックをお願いします!
スピリチュアルランキング
 

『精霊の王』

精霊の王 中沢新一著。2003年出版。

16年前、私は中沢新一にハマっていた。
池袋のジュンク堂でこのひどく魅力的な表紙と中沢新一の名前を見つけて、興奮して読んだのを覚えている。

その場で買って、家に帰って読んだ。
当時の感想は、こんなヒミツの神様が本当にいるのかな?
そして、読み終わった感想は、「よ~わからん」

基礎知識がなかったので、ここで言う神が本当にいるのか。一連の流れをどこまで信じて良いのか判別できなかったのだ。


とはいえ諏訪研究のために読むべき本として、最初に思い起こされたのはこの本だった。

 

 

 

◆ミシャグチさまのコメント

ミシャグチさま:その本は嘘ばっかりだから、流し読みでいいわよ~

天同:う~~びっくり

 

 

天同:中沢さんは最高に面白いけど、資料集めて研究するけど、途中から最高に気持ち良い空想世界にいってしまう。
エンターテイナーですが、史実性は二の次というか。

司馬遼太郎的な、資料は集めるけど、史実ではないキョロキョロ



天同:芸能の神として焦点を当てているのが違うと言うことですかね?

ミシャグチ:その点であっても嘘ということね。
資料からおもしろおかしい話しを作っている、フィクションということよ。



ミシャグチさま:芸能の者が、自分が崇める神を考察し敬うのは大層結構なことだけど、作家がそれを題材にして、もっともらしい空想を書くことにどんな意味があるというの。
それはただの空虚な幻想の再生産じゃない。

ミシャグチさま:自分の人生の一本の通った生き方に、様々な神秘の象徴を感じるのは理解出来ます。しかし、それら象徴をひもといても、その人の信念と生き様がなければ、ただの戯言に過ぎないわ。



天同:中沢新一はミシャグチさまの機嫌を損ねたのでしょうか?


ミシャグチさま:そうではない。
これはあなたの問題よ。

ミシャグチさま:あなたが優雅なファンタジーに浸る午後を過ごすというなら、その本を勧めるでしょうよ。
でもあなたのすべきことは、ミシャグチや真相に迫る知識を得ること。
流し読みして、次の別の本を読みなさい。




と言うわけで、以下簡単な精霊の王の要約である。

◆藤原成通


藤原成通(ふじわらのなりみち 1097-1162年)鞠聖と呼ばれた平安貴族である。

成通は1000日の間休むことなく蹴鞠を続けた「千日行」を達成し、それを祝って祭りが催された。

その夜、人の顔で手足と身体は猿という鞠の精霊が三人現れる。

「昔からあなたほど鞠を好んだ人は見たことがありません。ましてこのたびは、念願の千日の蹴鞠も果たされ、私たちにもさまざまなお供え物がありました。まことに悦ばしく存じます。あなたさまのこと、また鞠のことを、いろいろ語りたいと思い、こうして出てきたしだいでございます」

「…人々が蹴鞠を愛好している時代には、国も栄え、よい人が政治を司り、幸福がもたらされ、寿命も長く、また病気もしないと言われております。また蹴鞠は、後世にもよい影響を与えると申されます」

「蹴鞠をなされるときには、私たちの名前を呼んでください。そうすれば、木を伝ってすぐに参上します。かならずご奉仕申し上げましょう。ただしまわりに懸木(かかりぎ)のない場所でおこなわれる庭鞠は、ご遠慮のほどを。木から離れてしまいますと、私たちはご奉仕することができません。さて、これから後は、ご自分にはこういうものが見守っているのだと、いつも私たちのことを心に懸けていてください。そうすれば私たちはたえずあなたを守護し、ますます蹴鞠の道に上達することを約束いたしましょう」


こう言うと蹴鞠の精は消えてしまった。

 

 

 

◆守宮神(宿神=ミシャグチ)

中世の神であり、芸能の神であったそうだが、謎に包まれている。

上記の蹴鞠の精こそが、守宮神が人の目の前に現れた希有な例だと言う。


さらに、猿楽においては翁が守宮神の顕現とされている。

子細は長らく謎であったが

金春禅竹(室町時代の猿楽師)の書いた『明宿集』が昭和39年に発見される。

そこには猿楽の神髄が書かれていたのだが、そこには翁=宿神=北極星=宇宙の根源=隠された王であると記されていた。

 

(猿楽の翁)

 

 

◆中村新一節

そこから、諏訪のシャクジ(ミシャグジ)
仏教インドの神。
宇宙論。
と展開していく。
知的展開としては、非常に面白いのだが、話しはあちこちに飛び、ケルトまで出てきてしまう。

 

私的に簡単すぎるほどに要約すれば、
 
王の中の王、精霊の王(あえて神とは言わない)が縄文から存在した。

しかし、それらは国家の出現によって、奥に隠れてしまった。
関東においては、守宮神などと名前を変えて残ったが、朝廷に近い関西ではより巧妙に名前が隠れ、被差別民の中にわずかに宿神として残った。


今の世においては、それらの神を再び呼び出す必要があるのではないか。

 

 

 

最後に『明宿集』の現代語訳が載っている

猿楽の翁こそが、住吉の大明神であり、諏訪明神でもあり、塩竈の神。あるいは伊豆の走湯権現でもある。すなわち根源の神であり、いずれの神も翁の権限の一つである。
その翁もあらゆる人の心にも宿っている。そのことを知って真理について探究せよ。

 

つづく

前の記事→諏訪大社とツアーその1
前の記事→『古代諏訪とミシャグジ祭政体の研究』を読む

 

 

 

 

お知らせ
イエローハート数秘&チャネリングであなたの使命、才能、運命がわかります。
数秘&チャネリングセッションはこちら
セッションの感想はこちら

チャネリングブログ(FC2ブログ)

プロフィール

スピリチュアルランキング

クリックをお願いします!