昨日の記事、そういえばnever young beachにも同じタイトルの曲がありました。
好きな曲だった〜
だったらセンス悪くないよね!笑
若者へのメッセージは急いでしまった感あるので、またゆっくり書いてみたいです。
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今日さっきお会いした前の職場の人と話をしていたら、「誰の中にも聖域があって、それは守らなきゃいけない。自分が壊れてしまう、と直感するときには、真っ先に守らなきゃいけない。」ということをおっしゃっていた。
心の話はよく人とするけど、聖域という言葉が使われたのを聞いたのは初めてだと思う。たぶん、日常生活では。
地道に読んでいる河合隼雄の本には「たましい」という言葉が出てくるけれど、私の中で繋がったイメージとしては、
自分で感じられる、自分の中にある
譲れない場所
大切な場所
の最たるところが「聖域」で、その奥の奥、底の底にあるもの、あるいは全体に宿っている、普段はかんたんには知覚できないけれど確かにいつもそこに在るものが、「たましい」なのかな
という感じ。
そういう、人の奥深く深淵みたいなものへの言及には惹かれる。大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、荘厳な自然の中に生きる動植物に、命の帯びるただならぬ何かを感じるように、全ての人の生にも、同じ何かはあるだろうと思う。生き物として、個としての、その人の、他ならぬ何か。
生きていたらいろんなものに触れて、感じて考えて、揉まれて、癒されたり傷ついたり、やらなきゃいけないことも、したいことも、その逆も絶えず出てくる。
その瞬間ごとに、あるいはたまにでさえ、立ち止まって自分の聖域やたましいを思うのは難しいと思う。
でも、その問題って多分いつもそこにあるのかもしれない。
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聖域とたましい
かんたんに開かなくて良い
かんたんに中を見せないで
かんたんにふれさせないで
かんたんに言葉にしないで
あなたの聖域
薄い自分を
汚い自分を
醜い自分を
憎んできたんでしょう
哀れんできたんでしょう
慈しんできたんでしょう
忙しいある日
暇なある日
ふと気づく
不意に知らされる
あなたのたましい
涙してあげてね
命と個としての自分に
やさしくそっと
熱くそっと
何度もそっと
まなざしてあげてね
そして抱擁を