ATRFさんこんばんわ♪じっくりコメント読ませていただきました^^
「わがまま」素敵な考え方ですね(~o~)自分は居るべきところにいて、出会うべき人と出会い、現在があるって感じでとても素敵に感じました♪
「わがまま」って、感情的なものからくる振る舞いや怠慢ではなく、冷静に理知的になって考えれることが大事ですよね。行くべき道が見えて行動することも「わがまま」というものだと思います。そうやって周りの人と必然的に出会い、存在するべきところに自分が存在しているのだと。自分のことしか考えられない自己チューになることもないし、世の中の「わがまま」の誤った解釈も起きないですよね。どんなに腹が立ったりしても、冷静に理知的になって考えれば、他人は他人で自分は自分っていうことが分かり、人との関わりあいでもケジメをつけることができる。たとえ親子関係であれ夫婦であれ他人なのだと。今の世の中の問題点だと、親が子供に夢を託したりなどの何かを無理に押し付けたり、あるいは子供が20、30歳になっても親のすねをかじってしか生きられなかったり暴力を振るったり、つながりをエゴでしか理解できなくなっている証拠かも。「わがまま」はそうあってしまうと歯車が合わなくなるのだと思います。本質の「わがまま」が分かっていれば、自分の子供であっても自分の所有物ではないということも分かって見返りを求めることもないだろうし、子供だって親に暴力振るったりいつまでもおんぶに抱っこではなく親と子供の一線を引くことも必要だと分かると思います。
地球上のものが人間だけの所有物と錯覚し、一部の人間のエゴに固執した結果が今の地球の現状なのでしょうね。たいていの人は、本当は自分たちにとって大切なものは何かってことが薄々気づいてるけど、気づかないふりをする人もいるし、メデイアが積極的に忘れさせてる。ニュースでやってることは悲観的な大げさなものが多くて、身の回りの良い行動のニュースってとても小さくしか取り上げられませんが、環境保護って難しいものではなくて小さなことから手軽にできることだと思います。ゴミは川などにポイ捨てしないとか、分別に協力するとか、環境や周りのものに配慮するとか。そういう些細なことのちょっとした積み重ねだと思う。日本の昔のことわざに「風が吹けばおけ屋が儲かる」ということわざがありますが、ゴミをポイ捨てした川は、海につながっていって、海にたどり着き、汚染された海は生き物に影響が及ぼし大気に蒸発していってそれが雲になり雨になる。小さな行動は大きなことにつながっていくと冷静に考えられれば、小さなことにも気軽に取り組めるのではないかと思います。みんなもっと気軽に行動すれば大分変わるのかなぁって。
世の中は言葉によって勘違いを起こすので注意が必要ですよね。。
マスコミやメデイアが、あいまいな表現で錯覚を起こさせて鈍感にさせる言葉が多いですよね。。事件1つとっても「いじめっこ」というあいまいな表現で報道し「いじめに絶えられないやつが悪い」と感じる人が多い。それ程「いじめ」という言葉が日常的なものに変わってしまって鈍感になってしまってる。でも「いじめっこ」を「殺人未遂」、脅しを「恐喝」「ストーカー」と表現したら皆はハッとするのでしょうね。
他人のみならず世の中のものに対してけじめがつけれていれれば、「わがまま」の本質が発揮されるのでしょうね^^