映画「海賊とよばれた男」のネタバレを含んだあらすじを紹介します。
1945年
東京上空にはB29が空襲しましたが、迎撃の夜間戦闘機「月光」は石油不足で2機しか飛べませんでした。
終戦後、「国岡館」は焼け残っていました。
店主の国岡鐵三(60歳)は、「日本人としての誇りを失わず、全員が一致団結して社業を再興させよう」と述べました。
重役は反対しましたが、鐵三は「仕事がなければ作るもの。とことんやってダメなら全員で乞食になってしまおう」と主張しました。
<鐵三は早速、石統(石油統制配給会社)に乗り込み、油を回してもらうように頼みましたが、鳥川総裁は、戦時中のトラブルを恨みに思っていて、門前払いにされました。
鐵三は家に帰り、自室で若い頃を思い出しました。
1922年
27歳の鐵三は、石炭全盛時代に早くも石油の可能性を見出し、機械油の代理店「国岡商店」を開業していました。
しかし、営業しても袖の下(わいろ)がなければ相手にされず、嫌がらせも受けました。
「士魂商才」…侍の心で商売をすると誓った鐵三は出資者の木田章太郎に謝りに行きました。「
返済できない」と伝えると、木田は「京都の別荘を売って、7千円になるやろ」と提案します。
鐵三は断りますが、「3年でダメなら5年、10年、とことんやってみろ。それでもダメなら共に乞食でもしよう」と激励されるのです。
鐵三は海のポンポン船を見て、ひらめきました。
灯油で動くポンポン船に軽油を売るのです。
海賊
陸には縄張りがあるが、商売は海上でのゲリラ売りです。
「国岡の者が、油持ってきたけー」と「KS国岡商店」の旗を立て、社歌を歌いながら商売を行います。
その勢いに憧れた長谷部や東雲も入社し、鐵三と国岡商店は「海賊」と呼ばれるようになりました。
ユキと結婚することになります。
長谷部や東雲を含む数人の従業員も一緒に住み込む新婚生活が始まります。
結婚式の翌日、従業員と一緒に10人で写真を撮ります。
そして、ユキと鐵三の2人だけの写真も撮られました。
戦後
国岡商店に元海軍大佐の藤本が営業に現れました。
GHQから請け負ったラジオ修理の話でした。鐵三は藤本を採用し、銀行からの融資を頼みに行きました。
次の日、銀行でラジオの実演修理を行います。
壊れた真空管を探し、新品と交換するだけでした。
3分という短時間で修理が完了し、これによって国岡商店は信用を勝ち得、融資を受けることができ、ラジオ部が設立され、倒産を免れました。
その頃、石統は衰退していました。
国内に備蓄した2万トンの石油を販売しないと、石油の輸入を再開しないとGHQに言われました。
そこで鳥川総裁は国岡商店にこの任務を押し付けました。
復員してきた東雲や他の3人の従業員が引き受けます。
しかし、2万トンの石油は泥や雨に混じり、ポンプでくみ上げることができず、作業に参加した人々も逃げ出しました。
東雲は覚悟を決め、「ここに弾は飛んでこない。何より、これは石油だ」と言います。
店員たちもその気持ちに火がつきました。
石油の回収
鐵三は石統の鳥川を挑発し、「国岡商店が石油回収をしなければ、誰が困るのか」と言い返します。
怒った鳥川は次なる嫌がらせを考えつきました。
2年かけて全国の2万トンの石油タンクから汚泥を抽出する作業が終わり、石統は解散し、国岡商店も国内での石油販売が可能になりました。
国岡商店は、ただの企業ではなく、国家を支える一翼を担う存在としての責任を持つことを決意しました。
武知の協力を得て、国岡商店は石統の嫌がらせに立ち向かうことができました。
そして、その努力が実を結び、国内での石油販売が再開されました。
国岡商店は再び繁栄の道を歩み始め、鐵三はその象徴として、新たな時代の先頭に立ちました。
1915年
鐵三は30歳の若さで、長谷部を連れて南満州鉄道に向かっていた。
現場の作業員から得た情報に基づき、鐵三は新しい潤滑油の開発を始めることにした。
メジャーの潤滑油が凍結し、火災事故が発生したことで、国岡商店にとってチャンスが訪れた。
耐寒テストの結果、国岡商店のナフテン系潤滑油が圧倒的な性能を示したが、メジャーは取引を中止し、販売認可が下りなかった。
帰国後、鐵三は失意の中でユキからの離縁を知り、数カ月後には満鉄からの依頼を受ける。
彼は再婚し、複数の子供をもうけた。
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