*** 頭脳労働 ***


”就職浪人”を免れ、サラリーマン生活を満喫して2年。
(ぐらいだったかな?ニヤリ
それなりに楽しく低いとは言え安定収入もあったのでそれで良いかも知れないが、如何せん肉体労働なので仕事に飽きる。
勉強嫌いな私がクルマ雑誌以外の本を買って読書するようになったのはこの時期だ。
何か物足りない。
身体だけでなく、頭も使ってよりやりごたえのある事はできないか?
今思えば、あの会社でも配車とか営業で新規開拓とか人事とかいろいろ頭脳労働もあったのかも知れないが、二十歳代前半の私にそれを考える余地はなかった。

悶々としている内に同級生から食事の誘い(飲めなかったので)爆笑
よく考えれば職場が同じ駅だったわけで、もっと早く会っても良かった話だ。
まあ、私は別の方で忙しかったワケで…ラブラブ
こっちの方は要はリクルート。
ともかく話をしてみると彼は卒業後、ソフトウェア開発会社(ソフト会社)に在籍していて、その会社にはもう一人同級生が入っていた。
この時期はバブルの時代。
雨後の筍のようにソフト会社が林立していた。
銀行がシステムの大幅改善をしている時期で”第3次オンライン”と呼ばれていて、プログラマーが絶対的に不足しており、それこそ猫の手も借りたい状態。
下請け、孫請けが普通なので、少ない投資で会社を作り、大きく利益を得る事ができた良い時代。
銀行→コンピュータメーカー→大手ソフト会社→中小ソフト会社→零細ソフト会社・フリーのプログラマーという流れで仕事が回っている。コインたち
最下流のフリープログラマーでさえ真面目に働いていれば20代で家一軒くらいわけもなく買えたという。

その小さなソフト会社に社長と知り合いの同級生の一人が幹部として入っていて、1人2人と大学の同級生や顔馴染みにガンガンリクルートをかけていたのだ。
とにかく仕事は沢山あるので、人間さえアテンドすれば能力があろうがなかろうが売り上げになるというわけで私にも前から声がかかっていたというわけ。
私はプログラミングなぞというチマチマした仕事は性に合わないのが初めからわかっていたので断っていたのだが、”頭脳労働”に飢えていたのとGパン姿しか見たことがなかった同級生がビシッとしたスーツ姿でリクルートしにきたのを見て一種の憧れが生まれたのは間違いない。ラブ
また話は遡って最初の会社に入る際に身元保証人として親に書類を書いてもらった時に
「大学出て運送屋かぁ」
と残念そうに言った言葉が忘れられなかったのも事実だ。
自分も運送屋だったのに(笑)

ま、そんなこんなで辞めた次の日からは3ピースに身を固めた私が元気に挨拶していたのだった。