4年くらい前にアイルランドにいって語学学校に通ってた時、毎晩僕は色々な国籍の人と踊りに出かけてました。
スペイン、アルメニア、イラン、エチオピア、キューバ、フランス、、、、
「踊っちゃえばみんな一緒じゃん。
国籍とか宗教とかどーでもいーし、俺は俺だし。」
きっと今の自分の根っこにはそれがあります。
日本は好きだけど、特に日本人というアイデンティティにコダワリはなくて、誰だっていーじゃんみんな根っこは一緒だよっていうことを何の疑いもなく僕は思ってました。
そんな想いを揺るがしたのはこないだの中越大震災。
新潟には山古志村という小さな村があります。
その村は地震でほとんど壊滅しちゃって、村民のみなさんは今は長岡の仮設住宅で暮らしています。
山古志村はとても山奥の村で、長岡の市内からも一日に4本しかバスがありません。主な産業は農業と鯉の養殖、そして闘牛くらいなもんです。
今回の地震で、これまで一生懸命耕してきた畑や棚田、育ててきた鯉は壊滅的な打撃をうけました。闘牛の再開だってどれだけやれるかわかりません。
みんな不安でたまらないはずなのに、苦しくてたまらないはずなのに、
おじいちゃんやおばあちゃんが多い村の人々にとってはもうあんな山奥の村で暮らすのだって大変なはずなのに、
ほとんどの人が村へ帰れることを諦めようとしません。
あきらめない。絶望しない。立ち止まらない。
「絶対にみんなで帰るんだ」って、村長なんて震災以来まだ一日だって休日をとったことはありません。
「震度7、それでもなおこの大地を愛す」
村の役場にはそんなカレンダーが貼られています。
この想いはなんだろう。
このエネルギーはなんだろう。
天空の城ラピュタで「人は大地をはなれたら生きられないんだよ」なんてセリフがありました。
山古志の村の人たちは、とても自然に、とても力強く大地とつながっているように僕には感じられました。
山古志の人たちは、どこまでいったって山古志の人。
ところで国籍ってなんなんだろう。
僕は日本に愛着があります。
お味噌汁も寿司も好きだし、好きな人いっぱい住んでるし、自分を育ててくれた空気と大地がそこにはあります。
だから僕は、絶対にスペイン人にはなれないし、アメリカ人にもエチオピア人にはなれないと思う。
でも一方で、「そんなん人間が勝手に引いた境界線じゃん、どーでもいーし」なんて思う気持ちもあるんです。
自分にとっての国籍は、日本人で、
でもそれを「国籍」ってしちゃうと薄っぺらい気さえします。
きっと国籍は、イランでもカナダでも、僕は日本人なんだと思います。
国籍っていうのはなんだか与えられた番号札みたいで好きじゃないです。
その意味で僕にとって国籍は重要じゃない。
ナンセンスなんですが、日本人だっていう自分の帰るべき場所みたいなのは持っていたい。
そうすっとこの「日本人」っていうのはいったいなんなんだろうな。
国籍?帰属意識?よくわかんないやー
でも日本人っていうアイデンティティは、きっと持っていたいんです。
こだわりはもっていたいんです。根っこの部分はみんな同じだってわかった上で、僕は何となくそう思う。
※実は、なんとなくこの日記を載せるのは非常にためらわれたわけなんです。自分はもしかしたら無神経かもしれない。とっても身勝手かもわからない。これによって誰かを不愉快にしてしまうかも。
でも自分はきっと今までこのトピックに対してあまりにも無自覚だったから、少しでも言葉にして表現したいとおもった。みんながどう考えてるのかなっていうのも聞いてみたいとも思った。
きっとブログだから、文字だから、人の顔がみえないからこそ言えるストレートな感想があるはずだから。
批判、ご指摘などあれば心からありがたく頂戴したいと思います。
スペイン、アルメニア、イラン、エチオピア、キューバ、フランス、、、、
「踊っちゃえばみんな一緒じゃん。
国籍とか宗教とかどーでもいーし、俺は俺だし。」
きっと今の自分の根っこにはそれがあります。
日本は好きだけど、特に日本人というアイデンティティにコダワリはなくて、誰だっていーじゃんみんな根っこは一緒だよっていうことを何の疑いもなく僕は思ってました。
そんな想いを揺るがしたのはこないだの中越大震災。
新潟には山古志村という小さな村があります。
その村は地震でほとんど壊滅しちゃって、村民のみなさんは今は長岡の仮設住宅で暮らしています。
山古志村はとても山奥の村で、長岡の市内からも一日に4本しかバスがありません。主な産業は農業と鯉の養殖、そして闘牛くらいなもんです。
今回の地震で、これまで一生懸命耕してきた畑や棚田、育ててきた鯉は壊滅的な打撃をうけました。闘牛の再開だってどれだけやれるかわかりません。
みんな不安でたまらないはずなのに、苦しくてたまらないはずなのに、
おじいちゃんやおばあちゃんが多い村の人々にとってはもうあんな山奥の村で暮らすのだって大変なはずなのに、
ほとんどの人が村へ帰れることを諦めようとしません。
あきらめない。絶望しない。立ち止まらない。
「絶対にみんなで帰るんだ」って、村長なんて震災以来まだ一日だって休日をとったことはありません。
「震度7、それでもなおこの大地を愛す」
村の役場にはそんなカレンダーが貼られています。
この想いはなんだろう。
このエネルギーはなんだろう。
天空の城ラピュタで「人は大地をはなれたら生きられないんだよ」なんてセリフがありました。
山古志の村の人たちは、とても自然に、とても力強く大地とつながっているように僕には感じられました。
山古志の人たちは、どこまでいったって山古志の人。
ところで国籍ってなんなんだろう。
僕は日本に愛着があります。
お味噌汁も寿司も好きだし、好きな人いっぱい住んでるし、自分を育ててくれた空気と大地がそこにはあります。
だから僕は、絶対にスペイン人にはなれないし、アメリカ人にもエチオピア人にはなれないと思う。
でも一方で、「そんなん人間が勝手に引いた境界線じゃん、どーでもいーし」なんて思う気持ちもあるんです。
自分にとっての国籍は、日本人で、
でもそれを「国籍」ってしちゃうと薄っぺらい気さえします。
きっと国籍は、イランでもカナダでも、僕は日本人なんだと思います。
国籍っていうのはなんだか与えられた番号札みたいで好きじゃないです。
その意味で僕にとって国籍は重要じゃない。
ナンセンスなんですが、日本人だっていう自分の帰るべき場所みたいなのは持っていたい。
そうすっとこの「日本人」っていうのはいったいなんなんだろうな。
国籍?帰属意識?よくわかんないやー
でも日本人っていうアイデンティティは、きっと持っていたいんです。
こだわりはもっていたいんです。根っこの部分はみんな同じだってわかった上で、僕は何となくそう思う。
※実は、なんとなくこの日記を載せるのは非常にためらわれたわけなんです。自分はもしかしたら無神経かもしれない。とっても身勝手かもわからない。これによって誰かを不愉快にしてしまうかも。
でも自分はきっと今までこのトピックに対してあまりにも無自覚だったから、少しでも言葉にして表現したいとおもった。みんながどう考えてるのかなっていうのも聞いてみたいとも思った。
きっとブログだから、文字だから、人の顔がみえないからこそ言えるストレートな感想があるはずだから。
批判、ご指摘などあれば心からありがたく頂戴したいと思います。