20190827 福岡DRUM-Be1 2 | 日々是…

日々是…

いわゆる私の独り言的な

記憶障害
エマージェンシーです~~~~

←つまり忘れていってる

 

なので最初の発言通り

楽しさのみ

「MC集」

「なんか…こういうのも新鮮で。記憶に残ると思います。
いや、ほんと。こんな雨の中来てくれてありがとうございます。」

「こんなバンド、嫌ですか?チャゲ&飛鳥の方がいいですか?
 キリト&MASAはどうですか?キリマサで。(後ろ振り向いて)解散しないよな。」
M「しませんよ(どや)」

 

飛鳥が何かやったときによくそういえばキリトきてる気が。

前も声マネくりだしてたよね(飛鳥がつ○まった時)

「キ○ガイってもうやめようかな。時代的にも~」

会場「え~~~~~~~」

「キ○ガイ、キ○ガイ言ってますが。最近いろいろ難しいから。
…昔は大丈夫だったんですよ。大丈夫だったんですが、キ○ガイと言い続けてたら…出禁になりました」

(会場笑)

 

とか言いつつ「まあいいか。言い続ける」の方向に確かなったはず(笑

 

なんか最後「PRAY」前のMCがいろいろ聞きながら思う所があったんだけど

うまく聞いた言葉を文字におこせず

気持ちもかけない。

いや、私の考えたことなんてたいしたことないんですけど

 

「PRAY」って

さびの歌詞だけ読んだら私が嫌いそうな歌詞ではあるのだけど

優しさに溢れてるからね(優しい唄嫌いって私どうなの、それ)

なんか

40代なったくらいからちょっと解釈というか受け取り方が変って来た部分はある。

でも自己満な優しさの歌は嫌いだけど。

ていうか

優しさの定義がわりと固まって来たのかも

世の中が言う「優しさ」が自分の中で優しさじゃないこともあるし。

世の中が言う「酷い」が自分の中で究極に優しい、なこともあるし。

受取方が各々違うだけで。

「PRAY」は

なんていうか、キリト自身が自分にも歌っているのかな

ととても強く思う歌。

多分本人はそういうつもりでなく外に歌っているのかもしれないけど。

というより

大事である人に伝える言葉って

実は自分自身に伝えたい言葉でもあると最近思う。

自分に伝えたいからこそ、大事な人に伝えるんだと思うし。

だからこそ響く言葉。