うーん。愛か。愛ねえ。
愛という表現があんまり好きじゃないのは
ちょっとよく分からないから。
愛ってのが私の中ではもっと別の表現なのではないかとは思う。
あれですよ。
少女漫画で育ってるので、何やら美しいものなんですよ。
なのでまあそこはスルーして。
『傷つくことを許可した年』ってのはそうかも。
今年の後期
なんだか頭に来ることが多かったというのは傷付いたから、というものもあったのかも。
なんていうか
人の環境も感じ取り方も色々なんで
ちょっと嫌だなと思うことでもスルーするようにしてきたのだけど
我慢することができなくなったし
我慢しなければいけないと思ってたのがもしかしたら間違いだったのかとも思ったような気がする。
子供の頃は仕方ないのだけどね。
どこか『普通ではない』育った環境を周りに対して引け目に感じて
気を遣われないように申し訳なく思ってたとこが多分あった。
でももうしなくてもいいと思うし。
だってみんな大なり小なりトラブルにあったりしてて
大人だもの。
家のことを普通に話せないことに傷付いてたことも認めていいし、哀れんで傷つける人に怒ってもいいだろうと許可したのかも。
あと傷つくことを許可したってことは
傷口に刺さった棘を麻酔で痛みを瞬間だけ忘れるような
見てみぬ振りをすることを止めるということ。
棘を抜いてリスクを受ける覚悟で思ったことをはっきりしないといけなかった。
傷つくことを許可することは
自己完結でなく、かと言って他人にわかってもらうための努力でもなく
『私は私。誰がわかってくれても理解されなくても覆せない』
ということだと思う。
あくまで私自身にとってはですけど。
別に自分が完璧とは思いませんけど。