運命と肉体は共存している | 日々是…

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いわゆる私の独り言的な

AngeloのFlashbackがすごーく好きなんで

よく頭の中を流れるのですが

(ライブでは定番曲ではないけども)

 

今朝、出勤中超リピートしていたんですけども

 

運命とか定めとかって現実と少し離して考えがちだと思うのだけども

なんかこの歌詞見てると

運命って結局、自分を生かすためのプログラムでもあって

プログラムであるってことは

脳に記憶されたものでもあると思うのです。

 

デフォルト設定であるものが運命なのかな

 

なので運命が生かすためのプログラムなら

エラーを起こしかけて目的から離れかけた場合

脳はエラー対応をするのではないか。そこで初めて運命というワードが出てくるのかも。

それをさだめ、というのかも。

 

つまりは誰かをこの上なく恋うることは

案外生きる上で究極の場にさしかかってるのかもな、とか思ったり。

システムエラーで恋をしなかったとして

別にすぐ生きていけなくなる訳ではないだろうけど

モチベーションが下がっていったり順当な生命を生きていく上で困難になるのかもしれないし。

とはいえ、その困難な時に再び「君」を欲しがるアクションがあるのかもしれない。

 

まあ

そんな風に言ってしまうと味気ないけど

 

運命の二人だとか運命の出会いだとかって言い方変えたらそういうことなのかなとも思う。

それはそれでスペシャルだとは思いますけどね。

だって

自分が生きていくためにどうしても必要なんだもの。

 

究極だなと思う。

 

大事なものの優先順位なんかは加味しながら

本能が求めるものは結局抗えるものではないのかもしれない。

 

まだ諦めないで 意識の奥で 叫びながら君を欲しがってる

血管を流れいく 生存の方法論が 強制的に二人引き合わせる

影振り払って 声振り絞って 眠りにつくのはまだ先でいい

脳内火花散った 細胞望むがまま 生と死のバランスに揺れながら

 

とか