誤解~世の中に不満があるのではなく、演説に不満が!
明日は東京都都議会議員選挙の投票日です。
演説の現場にいたわけではないですが、YouTubeを見る限り、波紋を投げかけている内容が関心事なのでアップします。
この記事を書いた政治記者の捉えどころも面白いです。
「世の中に不満があるなら自分を変えろ」と突き放すような言葉で「有権者は誰に思いを託せばいいのでしょうか」→確かに!
今も昔もですが
「国や社会、御上(おかみ)のせいばかりにしていけませんよ。もっと足元から自分を見つめ直しましょう」と「分別のある大人」が言っていたことを思い出しました。
この言葉、両刃の剣につき危険です。
ここから、社会や政治に対して無関心を装う風潮が蔓延していったのではないかと思います。ここにメスを入れず主権者教育を叫んでみても・・・。どうなんでしょうか。
☆一つ目の視点
別の視点から考えてみました。
「世の中に不満があるなら自分を変えろ」という表現ですが、「国や社会のせいにするな」に似たフレーズです。石丸伸二氏の得意の論理の飛躍があります。
この聴衆は世の中に不満があったどうか分かりません。演説をする方々の主張に不満があって、ヤジを飛ばしていたのではないでしょうか。
石丸伸二氏の独特のすり替えた思考です。以前、YesかNoの誤った二分法が秦野市議会でも話題になりましたが、この手法も新種のレトリックではないでしょうか。
☆2つ目の視点
演説のヤジ=選挙妨害とみる間違った考え方です。
昨今は、執拗に候補者を追い掛け回したり、街宣車に近づいて威嚇したりする行き過ぎた行為はありました。これらは問題であり「犯罪」として処理されています。
しかし、政治に関する演説へのヤジは昔から「華」とも言われきました。逆のケースとしてはヤジを国家権力で押さえつけ排除した事例がありましたが、これも行き過ぎです。
石丸伸二氏の町田市内でのヤジの対応は、聴衆を変な方向に誘導しています。ヤジ=悪という印象を仕立て上げています。
本来でしたら、古代ローマの対話式政治を彷彿とさせるような辻説法、聴衆との問答や対話があっても面白かったのかもしれません。
古来、辻説法が市民を救っていました。
演説は喋るだけ喋るという一方通行の「授業」ではなく、今流で言えば、街頭ディスカッションのような双方向の手法が新鮮に映ったのではないかと、余計なことを考えてしまいました。
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東京都議選はあす投票日です。
広島県安芸高田市議会の存在を知らしめて、都知事選では大変な激戦を演じ脚光を浴びてきた時代の寵児に対して「オールドメディア」と言われるマスコミは、今、あまり大きく扱っていないようです。
しかも石丸氏には少し翳りが見えてきたのでしょうか。
いずれにしても、「再生の道」という政党には政策がなく、政策は個々の候補者に任せているようです。しかも他党に所属してもOKだそうです。
前代未聞というより、政党の最大の役割は、構成メンバーを束ねながら政策実現を目指していくことです。
政策は個々の候補者にお任せしてしまうということが事実としたら、その政党は「烏合の衆」に成り下がってしまう可能性は十分に考えられます。
有権者はこのような政党や候補者に何か託すことになるのでしょうか。何も展望が見えません。ノーだと思います。
☆YahooNews 6/19(木) 16:20配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/7c8c7f05626636ef243bbe674c5e3eeec38026d5