”大山は富士山のお父さんだった”?! | 地方政治の未来を創る 秦野市議会議員  古木勝久

”大山は富士山のお父さんだった”?!

歴史おこしの会 総会と講演会

 


本町公民館で開催された「秦野歴史おこしの会」の総会と講演会に出席しました。

 

1年前にもご紹介しましたが、この会は平成6年に創立された歴史サークルです。

 

現在は会員93名を擁しています。文字通り、秦野の歴史を掘り起こし、次代に繋げていく「使命」をもって活動をされています。

 

今日の講演は、大山阿夫利神社の先導師・第37代の佐藤大住氏をお招きし「日本遺産 大山の歴史と文化と信仰」と題して、大山信仰にまつわるお話をたっぷりお聴きしました。

 

独立峰・大山は丹沢山塊の東端にあり、富士山のような三角形の美しい山容で、古くから山岳信仰の対象とされ「その地方で目立つ山、美しい山、降りる山・神宿る山」として信仰を集めたとのことです。

 

その信仰や「大山詣り」を支えてきたのが先導師でした。先導師は講中や旅人を大山に誘致する重要な役割を担っていました。←今流では、インバウンド力というべきことでしょうか。


少しだけ、蘊蓄(うんちく)

 

大山阿夫利神社の御祭神「大山祗大神【おおやまつみのおおかみ】」は、富士山本宮浅間大社の御祭神「木花咲耶姫【このはなさくやひめ】」の父親です。江戸時代から「両詣り」と言い、大山と富士山の両方を参拝することが「定式」とされていたようです。 勿論、今もです。

                  

実は、今日の講演では、「大山詣り」がどのように日本遺産に認定されたのか、その経過や認定後の効果、シティプロモーション等々、少し欲を張ったことを期待していましたが、見事に外れました。

 

しかし「温故知新」、佐藤大住氏の講演から有意義なお話をお聴きすることができました。

 

鳶などの職人たちが巨大な木太刀を江戸から担いで運び、滝で身を清め、奉納と山頂をめざすといった、他に例をみない庶民参拝の姿を垣間見ました。その大山詣りの光景は浮世絵などにも描かれていました。

 

かつては、江戸の人口が百万人の頃、年間20万人もの参拝者が訪れたそうです。

 

今、たとえ講中が減少したとはいえ、41軒の先導師により、様々な「伝統」が連綿と引き継がれているようです。「歴史を見ると、今が見える」とは良く言ったものです。